2010-10-19

演技に誠意なんかあるわけないだろう

俺が社会人になって最初仕事は、得意先への謝罪だった。

同じ会社技術者がしくじって、得意先に迷惑をかけたのを、新任の営業担当として上司と一緒に謝りに行ったんだが、

謝ってる最中も、先方から怒られてる最中も、「なんで俺がこんなことやってるんだろう」とばかり思っていた。

会社に成り代わって謝罪してる」のは頭ではわかってるんだけど、感情が追いつかない。

さも申し訳なさそうな顔をして頭を下げたんだが、どこまでいっても演技で、誠意などあるはずもない。

ついこないだまで当事者でも何でもないし、事の経緯もついさっき聞いたばかりで、そもそも俺個人には責任はない。

でも会社から給料もらってる以上、「謝ってる演技」をしなきゃいけない。「反省ポーズ」をしなきゃいけない。

「ああ、社会人ってこういう事か」と思った。

で、当時の自分の立場と「韓国に謝罪する菅首相」の立場ってちょっと似てるな、と思った。

菅首相戦後生まれだから、植民地支配や戦争犯罪に「個人として」責任があるわけじゃない。

でも立場上、お詫びのコメントを発しないといけない。

加害国の首相として、申し訳なさ気な「演技」をすることになるんだが、当然そんなのに心底からの誠意などあるわけがないから、

韓国から「誠意がない」と言われるんだろうけど、そんなのどうしようもない。

こういう状況で相手方に「誠意」を求められると、どこまで行っても解決不能になってしまう。

一般社会では、どこかで手打ちするか、一切の関係を絶つしかないんだろうけど。

  • 菅直人に関してはちょっと違うと思うけどな。あいつらは好きこのんで謝罪してるもん。それが彼らの脳内における絶対正義だから。 だから謝罪談話みたいなのがいきなり飛び出てきた...

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