2010-08-12

中島義道著 ひとを〈嫌う〉ということ 感想

簡単に言えばp210から読めばいいだけの話で、

人が人をいろんな濃度で嫌うのは当たり前で、

現に自分だって様々なささやかな理由でひとを嫌っているではないか、…という話。

それを、いわゆる「みんな仲良く」的な道徳のしばりで片付けてしまって、

自分をただ責めたり、「ひとを嫌う/嫌われる」というこころ重要な動きや感じ方にそっぽをむいたり

押し殺したりすることはいかにも人生無駄いである、と、偏屈この上ない中島氏は言う。

まあ、カミュじゃないけど、哲学のひとは、宗教倫理に押しつけずに、

自分自身の生を重々しく生きよ、と言うわな。

そしてわたしもかつて哲学の徒であったわけだからな。

こういうタイトルに引かれる人間は、概して嫌う嫌われる好く好かれるということに

非常にコンシャスであるわけで、その中には明確な理由のあるトラウマ持ちさんのような

重篤な患者も多々いらして、そういうケースは想定されていない。

わたしは明確に重篤患者なのであるが、逆にその分、ひとを嫌い嫌われる部分において、

自分の患部をほじくりかえす必要もなく、普通に嫌い/嫌われればよい、ということがわかって

少し気が楽になった。

さて。

Twitterでご丁寧に「おすすめユーザー」というのが表示されていて、

そこに最初に出てきた方のうちふたりにわたしはブロックされていた。

明確に「嫌われている」わけなのだが、

特にわたしはその方に何か悪いことをした覚えはない。

片方の方には、「まぶしすぎてつらい」という意味のわからないことを言われた。

何もしなくても、しかも共通の知り合いであるのに、

そのように激しく嫌われるのだな、というのがわたしの発見で、

そういえば小中学生の時に、同級生にいじめられたりしたことを思い出して落ち込んだ。

そういう残酷な手合いは、逆に嫌い返せばいいものを、

どうにも自分の中の何が悪かったのかを反省してならない。

多分、生理的嫌悪なのだろうが。

それすらも、重く正当に受け止めて、人生を味わい尽くせと中島氏は言うのだ。

あたかもシーシュポスのごとく。

  • あんなトラウマ精神病みたいな人に必要なのは哲学なのかねえ 投薬とかカウンセリングじゃないのかしらん

    • さっきまでトラックバックの仕方がわからず御返事できずにごめんなさい。 まさか反応があるとは思いませんでした。 確かに病的な部分も感じさせる記述もありますが、本物の病持ち...

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