2010-02-10

アフリカ引揚者

気がついたら、アフリカがあつい。一時、アフリカに滞在していた身としてはどうにもスルーできない言説が多いので、ここに少し考えを。

アフリカの問題はとても複雑でシビアです。特に日本人にはよくわからないことだらけ。国際協力関連で3年ぐらい彼の地で生活をしていましたが結局よくわからないまま、未だに理解できないことも多いです。知らないことに関しては口を出さない方が良いと思うのだけど、やはり生活していた土地愛着もあり、この思いを伝えたいとも思ったので、長文になりますが興味のある方には読んで戴きたいです。

まず、ちきりんさんのこのエントリーは読んでいて悲しくなりました。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207

よくわからないけどただこれだけはわかった、といって再植民地化が良いのじゃないかなあ、なんて暴力的すぎるんじゃないかな。アフリカの開発支援に関わった人がもしこのエントリーを読んだら、多くの人は悲しみや怒りを感じたりするのではないかと思いました。

そしてこのエントリ

アフリカ大陸在住中 : http://anond.hatelabo.jp/20100209065146

この方は西アフリカ方面にいらっしゃるのかな?そう思ったのもヨーロッパという言葉がとても多く出てきたからだけなのですが、宗主国を限定されないようそういっただけなのかもしれません。自分がいた南部アフリカとは違う感じもありますが、通じるところもとてもあります。とても共感できました。

増田さんも仰ってますがアフリカと一言で言っても国や地域によって気候も言語文化も種族も宗教政治経済も何もかもが異なります。この点については日本人感覚からは最も離れている、アフリカ現実の一つだと思います。アフリカ大陸の国や人々を一括りでアフリカと呼ぶことは、私たちが一括りでアジア扱いされるのと同じくらい乱暴なことかもしれません。私が関わっていた国には民族が2,3しかない国もあれば、100近くある国もありました。後者には公用語だけで10近い言語あり、同じ村にいるのに部族が違い、間に翻訳できる人が立たないと話し合いがスムーズに進まない場面に出会うこともあり、外部の人間としては国と呼ぶのも躊躇してしまうくらいでした。

そうした彼らですが、欧米先進国日本、そして中国に対する考えや感情は一筋縄ではいかないとても複雑なものを持っていると思います。というのも、彼らの多くはこんな風に思っているように感じたからです。今現在生活できているのは多くがODAなどの開発援助や外国資本サービスや製造品のおかげだ、だけどそのせいで国の一部の権力者や有力者が私腹を肥やしているのを知っている、でも彼らは独立英雄だ彼らはすばらしい、だけど自分たちが貧しいまま生活しなければいけない、だから、おまえら外国人がもっとカネやモノを俺たちにくれればいいんじゃね。

そして、こちらのエントリーについてです。

「発展」と「アフリカ」 : http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100208/p1

難しいこともいろいろいわれていて、よくわからない点もありますが、結論はおおむね賛同いたしました。

自分もそうですが、本当に私たち日本人アフリカの問題についてよくわかっていないと思います。アフリカ大陸歴史背景や今おかれている政治力学、そして国際開発・援助ビジネス。当然それらのことは今の私たちにとって無関心な事柄でしょう。しかしそれは同時に多くのアフリカの人々にとっても、理解しがたいものであるようにも思えます。

私は某セクター日本などからODAで落ちてきたお金を有効に活用するため、現地組織に入り込んで様々なプログラムの支援を技術的に行っていました。多くの貧しい人たちとも関わってきましたが、現地のプログラムコーディネーターやその上司マネージャーディレクターなどとも関わってきました。彼らの中で政府組織に属しているぐらいの立場の人は多くが代々の権力者であったり、裕福でコネがあったりとった特権階級に近い人たちでした。ただ単に政治家的にその地位にいる人もいれば、本当に優秀で頭の回転も速く常識もあり、その地域と国の未来を考えて行動している人もいました。しかし彼らと話し一様に驚き残念に思ったのは、そうした人を動かす立場と責任にある人でさえ、まずお金外国から貰えることが当然だと考えていることでした。そして、その支援国や団体のいうなりのままだということでした。しかしそのことについて、支援する側の人間が彼らを非難できないとも思いました。

例えば、その地域の人たちに有効にサービスを提供するためどうしたらよいか、現地スタッフは様々な議論や調整をして企画を立てます。しかし、支援者はその支援理由や報告責任やさまざまな政治性やビジネスなどが関わって、現地スタッフの企画をそのまま受け入れることができないケースが多々あります。そしてその支援団体がそのような活動にお金をだせないといったらそこで支援は打ち切りです。サービスを提供できないだけでありません。彼らの給料さえなくなってしまいます。なので現地スタッフは当然いわれるがままになります。そういうことが何十年と続くうちに、自発的に地域や住民のことを考えて意見を押し通すような気概のなるエリートは段々少なくなってゆくでしょう。どうしても「支援する・される」という一方的な力関係が開発支援には生まれてしまい、現地の人々の自助努力が生まれがたい土壌になっていることは否定できないと思います。

そういう反省を含め開発支援業界自体も、「持続性」というキーワードの下、非支援国の自発的な活動を助長するような支援ができるよう工夫し続けています。しかし、持続性が形成されるためには社会の様々なセクターが有機的に関係し合いよい影響を与えあう必要がありますが、実際そうした広い視野を持って支援することはとても難しいのが現状です。例えば、田舎学校を建てるということは、その地位の子供教育を施すだけではなく、同時に教育者を育成するということでもあり、教育教材を作るということでもあり、教育そのものの内容を作るということでもあります。しかし、そのような広い視野での支援体制を長い時間をかけてじっくり進めるプロジェクトが始まったとして、果たして成功するのでしょうか。教育という国の根幹に関わるようなことに対して、じっくりと腰を据えて政治的にも経済的にも向き合っていける支援者が存在するでしょうか。私の想像する限りでは、存在するようには思えません。

まず、ODAなどは税金ですし、NPONGO企業であっても、支援する側はその活動内容をきちんと報告しなければなりませんし、成果と結果が必要になってきます。なのであまりに大規模な支援はその先行きが読めない分、そのようなプロジェクト自体成立しがたいでしょう。また、以前に比べればあからさまではなくなってきましたが、支援側も多かれ少なかれ見返りというか利益計算して支援しているところがあります。ODAであっても、その国の開発支援団体にその予算の一部が当然ゆきますし、都市インフラであれば自国に関わる土建屋や製造関係へお金が落ちるようになっていたり、保健セクターであれば薬剤などを通して自国の製薬会社お金が回るでしょう。また被支援国の資源に関わる利権を求めるケースもあるでしょう。また専門分野の人材開発研究などもそうした特殊地域でなければできないことも多々あると思います。そうした開発支援にかかわる政治性やビジネスがあっての支援でもありますので、あまりに大規模な支援はマネージメントしづらいので、やはり成立しにくいでしょう。

結局、アフリカの人々はそうした先進国の支援に振り回され続けているというのが現状なのではないでしょうか。なぜ今、自分たちが支援を受けているかといえば、かつて植民地化され支配された代償だというでしょう。代償なのだから貰って当たり前、求めて当たり前です。今まで奪う立場だったものが、与える立場になっただけ。今まで奪われる立場だった者が与えられる立場になっただけ。なのに、貰うばかり、ほしがるばかりで働かない、自発的に国が機能しないと責められても、自分たちが作った国でもないのになぜそんなことをいわれればいけないのか、彼らにはよくわからないのではないでしょうか。そもそも独立したときに勝ち取った国は彼らにとって必要なものだったのでしょうか。そしていま、代償として先進国のカネやモノをうけとっていますが、実際彼らは何を失ったのでしょうか。そしてそれは私たちが代償として払わなければいけないモノなのでしょうか。正直わからないことだらけです。アフリカの様々な地域の人々のそれぞれがそれぞれに、様々なことを思っているというのが現状なのではないかと今は思っています。

先日、島田紳助さんが司会をする番組外務省を辞めNGOをたちあげ、スーダン渡り、現地で医療を施している川原さんという方が紹介されました。島田紳助さんのボランティアや支援に対する熱い思いが放送され続ける中、川原さんが二つとても心に残ることを仰いました。一つは治療などを現地の人にしても必ずお金を取ること。二つ目は正直むかつくことも多いけど、ここには小さいけれど未来を照らす明るさのようなものがあるということ。曖昧ですが、そのようなことだったと記憶しています。

長く紛争の続いたスーダンは未だに危険地域と聞いています。そのようなとても限界度の高い地域にいても、医療サービスに対してきちんとお金を取るという根本的なことをやり続けることはとても大変だと思います。しかし、支援という名の下にモノとカネを垂れ流すことの無意味さ空しさを理解しているからだと思いますし、現地の人ひとりひとりと対等に向き合っているからだと思いました。払う払うといって逃げ続ける人、借金を踏み倒す人、そんな人もたくさんいるかもしれません。それでも、川原さんがそんな人々に未来を見いだしてしまうのは、なぜでしょうか。アフリカに限らず、東南アジア太平洋州、南米などの貧しく何もないけど、ただただ自然はある、というような土地で暮らしたことがあるような方なら、具体的に思うところは違うかもしれませんが、この川原さんの言葉のいわんとするところはどこかわかるのではないでしょうか。

わたしの場合は、どんどん閉塞してゆく日本での生活を突き破り得るモノをアフリカで感じました。素朴さやふてぶてしさや狡賢さ、モノやお金歴史なんてなくても何とかなるさ、生きていけるさ、死んだら死んだで悲しいけど仕方ないさと本気で思わせてしまう力。そうしたものを彼らから学びました。日本というか、先進国フレームの内部でそんな意見をきいても単に痛い発言にしか聞こえないでしょう。でも仕方ないです。そう思ってしまったのだから。

最後にここまで読んで戴いた方に感謝します。そして、ここに述べたこともまた一増田の偏った意見でしかないと思ってください。まだまだ考慮しなければならない事や、語られなければならない事はたくさんあると思います。私が見てきたものもアフリカの一面でしかありません。そして結局のところ、世界アフリカアフリカという大きなフレームで見ている限りこの問題はどうにもならないと思います。なので、すこしでも彼の地に対する理解を深めてほしいと思い、自分経験をこうして書きました。しかしやはり、狭い業界、特定されるのを避けるため、時や場所を明示せずに増田で語ったことを許してください。

アフリカでは今急激にインターネットインフラが整いつつあります。といってもまだまだISDNレベルの速度でも速いほうだし、利用できる人はアフリカ全体ではまだ1割もいないかもしれませんが、それでも彼ら自身の言葉ブログソーシャルメディアを通して、彼ら自身の手によってどんどん世界に発信されていってます。私たちがインターネットを介して意識社会が様々に変化していったように、彼らのそうした言葉を通してまた私たちと彼らの関係や、彼ら自身が変わってゆけば良いなと思うのはあまりに楽観的でしょうか。

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  • http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100208/p1 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207 アフリカ大陸在住中(2年と半年)の身としてちょっと記録を残しておきたい。 論を構築するほどには、まだ深く関われてい...

    • 気がついたら、アフリカがあつい。一時、アフリカに滞在していた身としてはどうにもスルーできない言説が多いので、ここに少し考えを。 アフリカの問題はとても複雑でシビアです...

    • http://jp.techcrunch.com/archives/20100207social-feels-like-search-a-decade-ago-lots-of-noise-and-lots-of-spam/ 「ゴミのような投稿」というか「ゴミのような情報」が増えるのは致し方ないところでしょう。話題に...

    • http://anond.hatelabo.jp/20100209065146 ヨーロッパに行った時に思ったのが、アラビア系もアフリカ系も、 日本という国は小さい国土だけど戦争吹っかけるわ電化製品とか作っててすごいわ、な...

      • その外国の利己的な人は、対等な相手に対して、「俺は悪くない」と主張する。 少なくとも議論が必要な程度には対等な相手に対して主張する。 日本の利己的な人は、既に上下関係が成...

    • 日本の品質はすげぇーって言われていた。 最近は中国と変わらないねって言われている。 最近の小糸製作所や、トヨタのリコールの話しを聞くと不安になる。 手を抜いてやらなかった...

      • 工員にまともな給料払わないし、熟練してきたかな、、って頃合の2年11ヶ月で首切ってるからさ。数年前我々が中国を鼻で笑っていたけど、いつのまにやらその真似してるんじゃあなぁ...

    • http://anond.hatelabo.jp/20100209065146 ↑の元増田です。 一晩経って、もう一回見てみたら、こんなにブックマークとコメントがついてかなり吃驚。しかもまだ増え続けてるし。 コメントをくだ...

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