2009-09-27

惨めさを受け入れることについて

僕には誇れることもあるけど、惨めだと思うこともある。

運動がことごとくできない。

何かスポーツをする機会があったとして、うまくできないことを馬鹿にされるのが怖いのだ。


ここで、よくある話としては、昔馬鹿にされてそれがトラウマで、っていうのが僕にも当てはまるんだけど、後半年もたてば僕26歳だし、それで大丈夫なのか、と思うようになった。

それで、たとえば、馬鹿にされても何かを続けられるのかと言えば、どうなんだろう。

好きで続けられること、無くなってしまった。

何かをがんばるモチベーションとか無くなってしまってるし。


90%ぐらいの力で仕事の日々を送ってれば、それなりに裕福な生活できてしまっているし。

それは不況の世の中を鑑みると(いや、たとえ不況でないとしても)恵まれてることなんだけど、僕にとっては、なにくそ、と思って戦う機会を奪われてしまっているのかなと思う。

いや、奪われてるというか、自分からそういう機会を作らないようにしているのかな。


いいなーと思う女性がいたとして、本当に好きになることがない。

ふられたら惨めだから。

もう5年ぐらいそんなことを続けてる。

もしかすると、生まれてからずっとそうかもしれない。


読書もそうだ。

今の自分にとって気持ちいいことが書かれてる本ばかりを読んでおり、耳の痛いことが書かれている本は、たとえ読んだとしても忘れるようにしている。

卑怯だ。


しかし、がんばる原動力とか、惨めさにずっと向き合うことはどうやったらできるのだろう。

一時的にやる気を出してがんばるとか、惨めさと戦ってみる、ということはできるだろうが、永続できるのだろうか。

やっぱり、真剣になれることを見つけろってことなのかな。

真剣になれること…

生きていると言うことを感じられること…


心が、今現在を生きていることの本物性を認識できないのがつらいな。

仕事で人と関わっても、映画を見ても、良さそうだなと思う人をナンパしてても、それは僕にとってはどれも同じで、どれも映画の中のように、どこか違う世界の出来事のように思える。

周りを透明なガラスに包まれてしまっているように、世界がしんとしている。


心を殺せば楽になるかとずっと思ったけど、いざやってみたら、より一層つらいことになってしまった。

もう一度、みんなのいる世界に戻ってみたい。

  • よくいるな、こういう単にプライドが高いだけの馬鹿。 …とさっそく馬鹿にしてみるw いやさ、そういうのは自分の弱さと向き合って克服しないと直らんよ。 あと、自分のプライド...

    • ありがとう。 駄目なところを指摘してくれる人がいて良かった。 「自分のプライドの高さについて考えること」は言われたこと無かったし、気づきもしなかった。

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