2009-09-24

 85年生まれの人が個性的で、しばしば攻撃的だとも言われるのはおそらく教育によるものだと思われる。当時は人の個性を大事にするために、子供の自由に任せるような教育方針をとっていた。そのような方針はしばらくして消えてしまったが、このことは変わりやすい教育方針を最もよく示している。

 私の出会った人に芯の強い人が多かったのも当然で、古くからあった学校慣習を180度変更してしまえたほどだった。ある者は現在試験制度を厳しく批判していたし、またある者はヒトラー我が闘争からの引用学校の状態を語った。

 かつては子供を生み、育てることによって自分遺伝子を後世に残してきたが、現在自分の作品、その経験を語った文章を残す方法が日本である種の潮流になり始めているのは、無神論的な思想に何か一石を投じる、というその一点に尽きるのである。

 暴力の有用性を自身が信じていると相手に示すために、全ての行動が既定されている。つまり、敵と味方を交互に入れ替えながら、客観的なルールの外から内へと入り込むため、その不安と恐怖を呼び起こすことが今、必要なのである。

 自分は相手を支配しないことで自分、及び多数の人間を自由にすることができると信じている。そして多くの人間が持っている支配欲を全て自然のもの、または芸術に傾けることを善しとしていた。つまり人間が肉体的にも精神的にも自由であることによって、新しい状況を生むことができると思っていた。

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