2009-09-15

平気でデタラメを書く人たち

デタラメ批評をして、盛大に突っ込まれ、反論もロクにできなかったのに、それでも反省することなく似たような内容のデタラメを吐き続ける。――そういう行為を繰り返している奴がいる。ブロガーにもいるし、単著もあって知名度が高い人にもいる。

もはや「日本語が理解できれば自分が間違っていることくらいわかるはず」というレベルで突っ込まれているのに、なにも修正しないのが不気味でしょうがなかった。ブログエントリを書いたり本を書いたりするくらいなんだから、日本語わかっているはずなのに、なんでこのようなことを繰り返していられるのだろうか、と。

でも、あるエントリを読んでなんかわかった気がするので、ここに改変コピペしておく。

 

 ・さて、それではなぜ、人は○○にアディクトするのだろうか? (元ネタ http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20070725

そもそも批評をするということが彼らのかそけきアイデンティティーを支えているわけですから、そこから脱けるのは当然厭なことです。

また、変化した言動にもとづいて本人がローカルコミュニティで中心的な位置を獲得するという現象があります。この中心的な位置はしかしたいていpositiveなものではありません。ブロガーブックマーカーに「困った子だ」と言われ、注意されるわけですが、論壇の中で心理的には辺縁にいて、霞んでいたときよりは、これはその人にとってはずっと手ごたえのある状態です。放っておかれるよりはいいということがあると思います。

彼らに言わせれば、批評によってはじめて、自分に関心、注目が向けられたということです。これは大事な変化で、他の批評家をさておき、ローカルコミュニティの関心が本人に集中し、その容体によってコメントブックマーク毀誉褒貶するという状態は、ある意味で非常に居心地がいい。

そこから脱していって、やがて普通批評ができるという状態になってしまうと、コミュニティの庇護がうすれていき、自分が負担に感じているいろいろな脅威にさらされるということになりますので、非常に怖いということになります。

(しかしこういうことを書くのはそれこそが共依存的関係に突入するゲームプレイヤーになってしまう行為であるらしい。)

 

それっぽいことを書いてまわりからかまってもらえればそれでいいんだろう。

自分が言ってることが正しいか間違っているか、なんてことはどうでもいいんだろう。

 

突っ込む方としてはデタラメだから突っ込んでいるのだが、書いている方としては突っ込まれた(=反響があった)ので成功、ということになっているのだ。成功したのだから、修正する必要なんて無いのだ。デタラメを吐き続けるわけだ。

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