2009-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20090911221715

カルト、特に反社会的カルトかそうでないかは、言葉通り「反社会的」か否かだろうな。

組織信者の主流が社会と折り合えてるかどうか。

社会と折り合えてるなら、布教や集金に熱心であっても単なる「カルト」でしかない。

カルト内部で、なんとか解決してってところ。

実際、教義内容に関する判断が必要になると裁判所も踏み込めないし。

霊感商法となると、もう反社会的レベルに達してるだろうな。

読経や祈祷なんかだと、少なくとも労務はあるから、一概に反社会的とはいえない。

社会と折り合えなかった典型例はオウム

記事への反応 -
  • なんらかの新宗教をカルトカルトと言って馬鹿にする人は多いが、実際のところ一見安全に見える伝統宗教のほうがえげつないくらい偏っていたり悪弊だらけだったりもする。 その...

    • 正統な教義か否かというのは大衆には重要でないと思う。 だから、誤謬も重要でない。 問題は、生活と人間関係を破壊するほどの布教やお布施を強いるか否か。 この点において、伝統...

      • 人間関係と生活が破壊されているか否かはどこで線引きをするのか? また、 人間関係と生活を破壊しない布教活動とお布施はOKなのか? 親族が死ねば葬式にお寺の坊さん呼んで...

        • カルト、特に反社会的カルトかそうでないかは、言葉通り「反社会的」か否かだろうな。 組織や信者の主流が社会と折り合えてるかどうか。 社会と折り合えてるなら、布教や集金に熱...

      • >正統な教義か否かというのは大衆には重要でないと思う。 大衆にとってどうでもいいのではなくて、その宗教への信仰心のない人にとってはどうでもいい話しなのだと思う。 信仰...

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