小学生の頃、「自由に感想を書きなさい」という課題が一番苦手だった。手順が分からないからだ。自由に書きなさいと言われても書き方が分からないのだからどうしようもない。
その頃の作文では、支離滅裂なことをポロポロ書きながらやり過ごした。ただ思いついたことを書いていくだけ。読書感想文だったら、思いついたことをあらすじにしたがって整列させて書く。絵かなんかの感想だったら、その手が使えないから、思いついた順番に書くしかなくて、それはひどい代物ができあがった。
自分では、関係があること同士を隣に並べて書いてるつもりなんだけど、人から見ると脈絡なく書かれているようにみえているらしい。思いつく順番に並べるのはほぼ間違いなくダメで、正しい並べ方を決めている、なんらかの規則があるらしい。それが分かってきたのは中学生の頃だったけど、けっきょくどう並べればいいのかは分からなかった。
幸い読むのは好きだったので、人の文章を読みながら、書く手順を見つけるようにした。基礎中の基礎で、ほとんどの人は自然に身についていて、ことさら注意するほどでもないことなんだろうと思う。そういうレベルのことから、いちいち手順化していった。
たとえば、時系列に書く方法。本のあらすじに沿って書く感想文は時系列に書く典型例だ。それが最低限度の文章として成り立ってくれるのは、時系列がすでに与えられていて、そこに自分の一言をところどころのっける形で書くからだ。一方絵には、のっけるための時系列がないから、どうしようか、ということになる。
そういうときは、時系列を作ってから書けばいい。絵の感想文に限らず、時系列がどこにもないとき、割と汎用的に使えるのは、意識の流れをストーリー立てて記述する方法だ。たとえば「最初に目に入ったのは○○で、それから目を上にやると、……」みたいな感じ。これで少なくとも、思いついた順番で書くよりはましにはなる。
いったん時系列の文章の骨格ができたあとは、合間の入れられそうなところに、思いつきを放り込んでいけばいい。ただし、一ヶ所に放り込みすぎると時系列がみえにくくなってしまうので、バランスよく入れないといけない。この制限を守らないとまた脈絡のない文章に戻ってしまう。
時系列で書くのは便利なんだけど、時系列だけでやりきろうとすると、込み入った内容が書けなくなってしまう。そこで使えるのが、条件分岐を作る方法。たとえばXという思いつきを書きたくなったときはとにかく、すでにある流れのうちのどこかに付け足す形で「もしこれが○○だったらと考えるとXになる」という風に書く。そのフォーマットに合わせて埋め込める場所がないような思いつきは、とりあえずは書くことを諦める。
このやり方を使うと、一ヶ所に埋め込む分量はけっこう多くてもいいらしい。多分、埋め込みの部分の埋め込みっぽさが目立っているから、元の筋道の邪魔にならないんだろう。同じようにして、すでに述べたことに対する理由として組み込むとか、例示の一つとして組み込むとか、類似のものとして比べる形で組み込むのもOKらしい。
自分が見つけてきた手順というのは、こんな感じで、いかに脈絡のなさを避けるか、ということに一番の重点を置いている。これは文章の書き方としては基礎もいいところだと思う。いまだに、手順にのっとらない形で書かざるをえない部分では、ちゃんとした書き方ができているかどうか全然自信がないし、不安でしょうがない。この文章も、そんな気持ちで書いている。いいかげん、こういう低レベルな段階を卒業したいと思いつつ、次のレベルがなんなのかは全然見えないままだ。
いやこれを読む限りではちゃんと書けてるんじゃない?
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