本棚を整頓した結果、未読の本が142冊あることが判明しました。142冊って…。
と書いていた。俺は西尾維新クラスになると未読の本も資料として下手すりゃ数千冊くらい持っているんじゃないかと思っていた。
そんなことないのね。
なんだこれ、カロリーとってませんよ自慢?誰に?
こいつ、「~~だよ?」増田だろw
「。。。」ってな。まじキモイ。
朝マックを食べ、昼を抜いて、晩御飯を食べている。
トマトとキャベツのサラダ、ご飯一膳、味噌汁。500キロカロリーほど。
一般的には国家神道は国家神道という1カテゴリとして扱うからねぇ。
ちなみに国家神道は歴史的にはだいたい140年。国家神道そのものが1860年代に政策として人工的に教義が改変、というよりは新設されていて、江戸時代以前の「神道」とは教義レベルで大きく乖離してる。靖国神社も同時期にできてるけどこれは教義的に全く新しいな。
これがどのくらい「新しい」かというと、端的に言って古参の新宗教-例えば天理教-は更に30年古い。
また、国家神道にしても靖国神社にしても敗戦を境に決定的に性質が変わっているわけだけど、「創設」から敗戦までの期間はおよそ80年弱、つまり敗戦時点での「国家神道の歴史」とか「靖国神社の歴史」は、現在2009年時点での創価学会の古さと変わらない。
そうはいうけど、戦地じゃ別に上官に強制されたわけでもなく自発的に虐殺とか強姦に加担してたのが多数いる。死んだから被害者ってことにしちゃうのはおかしいんじゃないかと。ある意味自業自得なんだし。
数は定かじゃないけど確かにそういう人もいたのは事実。
でも、だからといって全員が虐殺とか強姦に加担した加害者とみなすっていうのは短絡的すぎないか?
被侵略国の人たちがそういう区別はつけられずに「日本兵=虐殺・強姦=悪」って一括りに連想するのは仕方ないことだし
被侵略国の人たちの感情を優先するなら軍属は全員悪、祭り上げるような行為は許されないってことになるんだろうけど
一人の日本人としては、行きたくもない戦争に駆り出されて日本の子供・親兄弟のためを思って死んでいった戦死者、
戦争に負けたら日本が消えると信じ込んで必死に戦った人らのことを考えると
「侵略戦争の再発防止のため」って一言でこれらの人々も一緒くたに加害側に回して絶対悪にするのはやるせないんだよなあ。
まあ、最初に書いたとおり徹頭徹尾感情論だから、国際社会の世論を考えると現実的には
軍人を美化したいから空襲の被害者と一緒に祭るというのはA級戦犯を美化したいから一般の兵士と一緒にして祭るというのと本質的に同じだと思う。
って捉えられ方をされても仕方がないようなことはするべきではない、っていうのが賢い見解になるのかもしれないけどね。
確かに、これ(http://anond.hatelabo.jp/20090813231445)の意味がわからないってのは、かなりやばいな…。義務教育からやり直してきた方がいいレベル。
あまりここに慣れていないので仕組みが分からないのだけど、他の誰かと同一人物と言われているのに憤慨している。
「釣りじゃないよ」って主張ではなくて、自分という人間が他の誰かに間違われる事が耐えられないのだ。
特に痛い人と間違えられるのが耐えられない。
自分の考えを主張するのが大好きなので、書いてみた。
ちなみに、同一人物と言われたこの記事で言えば(まぁたいして読んでないけど)、
草食系の弁明
http://anond.hatelabo.jp/20090814015200
スイーツって頭悪そうで嫌い。
ブスは全員土下座しろ。
http://anond.hatelabo.jp/20090814103927
まぁ私に対して土下座してもらっても構わないが「うわぁみっともないw」って嘲笑しちゃいますよ?
って感じかな。
ちなみに私がトラバを付けるのはこれが2回目。
協賛の名のもとに打ってるCM
ローカル局のこの時期
このCMの影響もあって、結局商業主義じゃんかと、見ようと思わなくなってる理由の1つ
24時間テレビ嫌い派って、今でそこ多いような気がするけど
寝てない自慢うぜええええええ!!!!
さしたる根拠もないのに、情熱的にのこり全部エンドレスエイトだと主張する人が少なからずいた。これは何なんだろう、と考えていた。ひとつには、希望的観測をすることで落胆したくないというなかば無意識の防衛反応、ということがある。しかし、このひとたちの何というか、逆切れ的な、むしろそれを望んでいるかのような口ぶりは、それだけでは説明がつきそうになかった。
思うに、ひどい目にひとはしばしば遭う。そして、それは、考えの違いによるものでしかなかったり、誤解であったり、優先順位の違いだったり、単純な事実認識の違いだったり、ということが多くて、悪意によるものばかりではない。しかし、相互理解が足りてないと、「こんなひどい目にあわせるということは、私が苦痛を感じるということそれ自体を目的にしているに違いない。そうでなければ、こんな馬鹿げたことをする筈はない」という推論をしてしまう。しかし、ひとは他者の苦痛それ自体を目的にすることは滅多にない。単に、他者の苦痛の優先順位が低いだけで、目的は自分の利益や目的だろう。
そういう悪意の推定に陥ると、ありそうもない愚行を相手がするに違いないと、大まじめに考えるようになり、それに対抗する手段も、エスカレートする。
誰でも自分なりの正義と合理性にのっとっているつもりであるという前提を置くことは重要で、攻撃的なことを考える人はたいてい防衛のつもりなのだということを忘れると、相手が、悪のための悪、加害そのものを享楽しているのだという妄想的な想定に陥る。
http://anond.hatelabo.jp/20090813213900
http://anond.hatelabo.jp/20090814141559
同一人物乙。
あんた若い女になったりおっさんになったり、相当暇なんだな。