奇跡としか思えないことがある。
どうしても現実とは思えないので、増田に経緯を書いてみる。「よくあること」なのだったら、そう言ってもらえると有り難い。あんまりリアルに書いて知り合いに思い当たられても困るので、年齢や状況は適当に創作しておく。事実に基づいているのは「動機」だけだ。
20歳のときに23歳の男と同棲していた。現実を見ない奴で、売れもしない歌を歌って暮らしていた。お金にならないので、当然稼ぐのはこちらだ。20年前のことだ。当時はまだバブルの余波で「若い女性」の稼ぎ口などいくらでもあった。男一人抱えるのなど楽勝だと思った。だが、1年経ったら雲行きが変わってきた。仕事をクビになり、次の仕事が見つからない。貯金は底をついた。お互いの親からは勘当同然の扱いを受けていたので、親には頼れない。切羽詰まって男に相談した。
「じゃあ、どうする?」
「クラブで働かないかと誘われてるんだけど、いい?」
「じゃあどうするの?」
「少し休めよ。疲れてるんだよ」
この『休め』に絶望した。休める状態ではないことを説明したつもりだったのに、まったく男に認識してもらえなかった。翌日、荷物をまとめて男一人置いて部屋を出た。
去年の6月、20年ぶりに大学の同窓会があった。男も来ていた。私が出ていったあとどうしたのか訊いたら、友達から借金してしのいだのだそうだ。
私は生計を維持していたのは私だったのに、いきなりおっぽりだすような真似をして悪かったと思っていた。無責任過ぎた。だから謝った。
そしたら、男は「俺のほうこそ、おんぶしっぱなしで悪かった」と言ってきた。
私は結婚して18年経ち幸せな家庭を築いていた。男のほうも結婚したものの4年で離婚して今は独身。勤め先が倒産してアルバイトをしていた。男がしんどい時期にいることは一目でわかった。何か楽しいことを一緒にしてなぐさめてあげたかった。何度か呼び出して、落語を聴きに行ったり、美味しいものを食べに行ったりした。
男は私が部屋に残していったものを持ってきた。20年もの間押し入れに仕舞っていたのだという。
初めて「愛されてたんだ」と思った。そして私も「愛している」ことに気がついた。生活できなかっただけで、嫌いになって別れたわけではない。
思い悩んでいる間に夫が病死した。夫とのドラマももちろんある。夫が闘病している間、付き添う私を支えてくれたのは、ほかならぬ男だったりする。けれど、奇跡とは関係ないので割愛。夫が居ないことは今も哀しい。
さて、夫の49日が過ぎたころ、男とよりを戻したわけだが。どうしても、手のなかにあるものが信じられない。私は確かに男を捨ててきた。どうやっても取り戻せないもののはずだ。かなり手ひどく振ったという自覚がある。
一度「夢としか思えない」と言ったら、手を握って「これでも?」と聞いてきた。
こんな風に振った女を許せるもんだろうか?
私は男と付き合って幸せになっていいのだろうか?
小説なら良く出来てるし、 現実ならいい話だと思うよ。 幸せに生きろよ。 てか、幸せになっちゃいけない人ってどんぐらいいるのよ。世間に。
そんな奇跡はざらにはない。それを掴まずしてなんの人生かな。