手品の種を知りたくないのと同じような気持ちが、他の多くの物事に対しても働いているような気がする。
知らずにいたほうが楽しみ続けられるかもしれないし、知ったほうがずっと楽しめるのかもしれない。
やってみなくちゃ分からないというけれど、やってしまえば無知ゆえの楽しさは失われる。
やってみたほうがよかったのならば結果オーライ、素敵なことだけど、もし知らずにいたほうが楽しく想像できたならどうだろう。
体験に生きるか想像に生きるかなのだろう。
でも実際のところ、生きる上では知っていたほうが有利だしむしろ知らないままでは生きられない。
記憶を意図して消せる力があればいいなあと夢想してしまう。
消しても、また知りたくなるのかもしれないけどね。
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