2009-04-20

同性愛者であるかもしれないことが怖かった

http://d.hatena.ne.jp/nodada/20090418/p1

この記事を読んで昔を思い出した。

ちなみに、上の記事とこれから書くことはほとんど関係ない。

俺は昔、自分同性愛者であるかもしれないことが怖かった。

自分ホモだったらどうしよう? 人生終わりだ。

そんなことを考えていた。

幼稚園児の頃に好きになった相手は女の子で、つまり俺は異性愛者だった。

だけど、ある日とつぜん自分が同性を好きになるんじゃないかという恐怖があった。

特に中学生の時、その恐怖は強かった。ホモだったらどうしようとばかり考えていた。

橋の下に捨ててあったエロ本を開いて、それがホモ本だったとき、ちんこがまったく反応しないことに安堵してたりしてた。

20歳までにセックスできなかったらホモになるという噂に本気で恐怖してた。

その恐怖感は高校生の時に自然に消えた。

ほんとに自然にいつの間にか立ち消えたため、今の今まで恐怖なんてすっぱり忘れていた。

なぜ恐怖感は消えたのだろう?

二十歳をいくつか過ぎた今、当時を振り返ってみる。

ひとつ、思い当たることがある。

そう。俺は高校生の頃に初めてエロ本を買ったのだ。

それは露出の本だった。

街角や夜の公園コートをはだける裸の女性達。

雑誌写真の大半が素人投稿だったためモデルの質は残念だったが、それでも俺は最高に興奮した。

街でコート女性をみるたびにもしやあのコートの下は裸なんじゃなかろうかと妄想した。

俺は自分性癖を見いだした。

もはや自分ホモである可能性を恐れる必要はない。

ノーパン女子高生を崇めればそれでいいのだ。

もうひとつ理由があるかもしれない。

俺は当時に比べて自分の中で同性愛を受け入れている。

異性愛完璧同じほどには認めてないけど、まあ同性愛も別にいいじゃん? って程度には受け入れた。

だから恐怖を感じなくなったのだと思う。

しかしあの恐怖感はなんだったんだろね。

社会に弾かれるかもしれない恐怖、だったのかな。

  • 『アリスの算数パズル』を思い出した。 私、セロリが嫌いで本当によかった。だって、もしセロリが好きだったら、セロリをたくさん食べなくちゃいけなかったもの。

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