西川口で日雇いのティッシュ配りをした。初めて降りる西川口は風俗とキャバクラだらけで、まだ小娘だった私には少し怖い場所だった。
キャバクラの呼び込みと間違われたりしておっさんからいやらしいことを言われたりもしつつ、いつも通りティッシュを配っていたら、目の前をフィリピーノとおぼしき女性と5歳くらいの男の子が通りかかった。男の子は彫りが深い大きくて真っ黒な目をしていて、一目でハーフだと分かる。こちらに目線をロックオンしたまま通り過ぎて行った。
「ああ、ここらへんはああいう女性も多いのかなあ」などと思いつつ子一時間仕事していると、服の裾を引っ張られた。振り向くと先ほどの男の子。「何してるの?」と聞かれたので「ティッシュ配ってるんだよ」と答えたら、「僕もやっていい?」と言う。
ちょっと困っているうちに、男の子は勝手にティッシュを両手に持って「お願いしまーす!お願いしまーす!」と配り始めてしまった。これを日雇いの派遣元に見られたら怒られる!と思ってアワアワしているうちに、男の子はすぐ飽きてしまったようで、近所のマクドナルドのほうへ走って行った。戻ってきた男の子は、手にハンバーガーを持っている。マックのお姉さんが男の子に手を振っている。常連さんなのかもしれない。
というか、お母さんはどこに行ったんだろう?隣でハンバーガーを食べ始めた男の子に、「お母さんどこ行った?」と聞いてみる。
「パチンコ」
…いたたまれない気持ちになった私をよそに、男の子は路上に落ちてた石を蹴って遊んでいる。近くにいた屋台のおじさんが「あの子、いつもここで遊んでるからお姉さんもあんまり構わなくていいよ。母親が放置してるんだよ」と苦々しく言う。しかしそういう状況にあるとしても、とにかく元気で屈託がない子だ。
そのうち、帰る時間がやってきてダンボールをたたんでいると、男の子が手伝ってくれた。真っ黒な目で「明日も来る?」
日雇いだからもう来ないわけで。しかも西川口だし、もう降りることもないかもしれない。「ごめんね、明日はいないんだ」と答えると、男の子は慣れっこな様子で「そうかー、じゃあ一緒にこれ運んであげる」とくっついて来た。
他愛のないことをぺらぺらよく喋る彼にあたりさわりなく答えているうちに、派遣元のオフィスが近づいてくる。あ、どうしよう。この子連れてオフィスなんか入れないし…「ここまででいいよ」って言えばいいかな、とか、精いっぱい彼を傷つけずに引き離す方法を考えていたのだけど、
彼はオフィス手前の横断歩道を渡る直前でぴたっと歩みを止めて、ダンボールを私に手渡した。そして、「じゃあね、バイバイ」と言った。そして、ビルのガラス張りエレベーターを指差して「あれに乗ったら、こっちに手振ってね」と言った。
彼は、それ以上くっついて行くと迷惑だって知っていたのだ。泣きそうになった。まだこんなに小さいのに、ガキンチョなのに、何でそんなことに気を使うんだよ、バカ。私は一生懸命手を振った。横断歩道の手前で、豆粒みたいな彼が手を振っている。オフィスでお金をもらって、また路上に戻った。もう男の子はいなかった。
数年たった今でも時々、彼のことを思い出します。今頃どうしているのかな。