2009-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20090113134643

たとえて言えば、あくまでも、たとえなので不正確だけど。

キリスト教信者女性幸福

ヒンズー教信者女性幸福

仏教信者女性幸福

科学信徒女性幸福

というのは、同じようでいて微妙に違う。

これを、

女性幸福というくくりでまとめてしまうと、

キリスト教信者女性 は ヒンズー教信者女性幸福を見て、違う部分を発見して、あれは違うと言い、

ヒンズー教信者女性幸福 は キリスト教信者女性幸福 と違う部分を発見して、あれは違うと言い

言い争いになってしまう。人それぞれ価値観が違うので、女性だから、と言っても

国・地域宗教・年代・環境、様々な要素から価値観が違うので、必ずしも子供を産むことが女性幸福とは言い切れない。という事。

価値観の1つとして、子供を産むことが女性幸福であると考える人もいる。というのは、あってるけど。

子供を産むことが女性幸福である。というのは、誤りだと思う。

たとえをさらにたとえると

シスターなどは結婚しないし、そのせいで子供も作らないけれども、それはそういう選択だし

その延長線上で、生理的嫌悪感などから子供を作りたくないという女性がいるならば、その人にとっては子供を産むということは不幸なのかもしれないし、

単なる勘違いで、実は、子供をもうけた方がよいのかもしれない。

でも、それは、その人と、その人の周りの人が話し合って決めることだから、第3者がどうこういうことじゃない。

そうやって、統合的に考えていくと、XXさんにとっての幸せというのは、XXさんとその周囲が話し合って考えて、決めること。

だから、その周囲にいない第3者が、女性幸せってXXだよね。とか言うのは、ちょっと違うと思う。という事と

たまたま宗教子供を作らないと決めた人や、その他の理由から子供は作らないと決めた人への配慮が足りない発言じゃないか?

という事。

記事への反応 -
  • 社会「も」つーことは、自分の中に「も」あるわけでしょ? でも一個の生物としては「子を持ちたくない」と思うはずなのに、子を産もうと思うということは、結局「社会からの外的欲...

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