2008-12-20

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081212/p1

nornsaffectio 東浩紀, still again いいかげん社会的無責任アリバイ作りにデリダ利用するのやめろと言いたい。東のそういう態度は彼が真剣に生きていないからであり、だからこんな風に公共性をスルーできる。はてサ程度の相手とも熟議できない奴。

これを裏返すと『「真剣に」生きていれば当然「公共性」にコミットしようとするはずだし、そうであってしかるべきだ』という言明に聞こえるんだけど、この程度の批判だったら東も過去の著作で散々言及してるよね。

  1. 「不真面目に」生きてる人間(or 批評家)は駄目なの?そもそも「真剣に生きる」って何?
  2. ここで言ってるコミットされるべき公共性って「大文字」のそれだけ?「公共性」の多様性はスルー

「東は知識人として無責任だ」と言ってる人間が全てこの程度の見識だとは思わないが、一連の議論では、「何に対する責任か」ということを明らかにせずに安易に「責任」という言葉が連発されている印象を強く受けるんだが。

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