2008-12-03

日本っていうコミュニティも放っといたらこういう死に方をするんじゃないかな、とか。

個人運営のとあるネトゲプレイし始めてもう数年になる。最盛期には500人近くの人口を擁したゲームだが、現在ではやっと150人超というところ。コミュニティの疲弊を見るのはいつだって寂しいものだ。2chスレは寂れ、攻略サイト更新は止まり、少しずつ常連が発言を減らし、そして姿を消していく。

その疲弊の中で、ゲームプレイの質も低下してくる。活気がなくなることはもちろん、人の少なさは個人のミスを拡大して見せてしまう。また、それまで積み重ねられ継承されてきた情報が受け取る人間のいないまま消える。常連たちはコミュニティの存続するかどうかって問題に対する危機感と苛立ちを作り出し、伝染させる。また、ゲームプレイヤーたちは別のプレイヤーにとって「ゲーム内でうまくやる」ことの価値を担保する存在でもある。プレイ人数の減少はプレイすること自体の価値の低下にゆるやかにつながるだろう。

このように複合的な要因によってコミュニティは坂を下り続けるわけだけど、最近感傷に浸っているだけじゃなくて、これから「政治」とか「文化」とか「思想」とか「宗教」とかそういうものに関するコミュニティの死に方を連想して楽しんでいる。元がよくできた戦略ゲームだけに、人間の集団のモデルとしては興味深いんだこれが。

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