2008-10-01

大学院の話が出てるなーということで

研究室の雰囲気になじめていて指導教員ともそれなりにうまくやれているにもかかわらず精神を病んだ大学院生が書いてみる。現在修士二年。たぶん卒業は出来ると思うが、授業の単位をあと四単位残している。修論はこのまま行けば一応通るだろう。学会経験あり、査読も通った。同期に比べれば少ないし、海外学会に行ったことはないけれど。

卒研と修士研究室をかえる人が多い環境の中で、一応同じ研究室でずっときている。なんだかんだと授業も含めて三年生のときからお世話になっているので、研究室メンバーの中でも長くいる方だ。卒論のときはテーマと自分自身の歯車がちょうどよくかみ合って進捗具合は結構よかった。上についていた博士課程の人ともうまくやれていた。そのときの指導教員助教授で、修士に上がってからは教授にかわった。

一年生のときはよかった。何を聞いても興味深かったし、学部のころの授業でやったことが少しずつ自分の中でネットワークを作って血が通い始めるような錯覚が心地よかった。自習もよく進んだし、もらったテーマも興味深くて楽しかった。論文を色々と読み、関連研究を探し、あたりをつけて定式化をしたりしたが、その式がどういう現象をあらわしているのかまではわからなかった。そこらへんで自分の限界を見たりもした。そういうわけで進学は希望せず、就職する方向を選んだ。幸いなことに就活はそれほど苦労せずにさっと決まった。どちらかというと理論は好きだが、それよりも手を動かして何かを作ったり実験をしたりする中で色々と考えるほうが好きなんだろうな、と自分の分析をしたりなどした。指導教官言葉は一つ一つ面白かったし、尊敬している。多少人の気持ちを慮れないところはあるが、研究者としては非常に優秀な先生であると思うし、言いすぎることはあるがどうすれば学生のためになるかを一番に考えている人ではある。

歯車が狂い始めたのはいつぐらいからだったのだろうか。目の前にある研究の前には長い長い歴史があって、その歴史によってくみ上げられた壁を到底超えられない、そんな気がしてしょうがなかった。当たり前のようにそれがあって、その理論は誰でも考えられて、その実験は誰でも出来てしまって、では自分は何をすればよいのか?それがわからなくなってしまった。何も出来ないような気がした。自分がいなくてもどこかで誰かがすでに同じことをやっているのではないか、きっとやっているんだろう、いるに違いない、では、今時間をかけてお金をかけて、これをやっている自分は何なのだろう。何のために?自己満足なのか。そういう疑問が頭について離れなくなってしまった。研究が手につかなくなり、論文も数式も頭を素通りするようになった。何も頭に入ってこない、目が滑って内容を読み取ることが出来ない。言っていることは支離滅裂になり、聞いたことも理解する前に消えていってしまう。そういう現象がおき始めた。焦りと困惑の中で色々と手をつけては失敗をした。

同期は淡々研究をして精力的に学会に投稿している中で自分だけが立ち止まっていつまでも成果が出なかった。あの人は海外にいったのに、あの人はまた学会に行くのに、自分はまだない、まだ成果がない、まだ何も出来ない、まだなにもない、だけど出来る気がしない、自分が考えることなんて誰かがやってるに決まってるのにそれをさもすごいことのように発表することなんて出来ない、できるわけない。

そうやって心を病んでいった。

休んでみればどうにかなるだろうか、と寝て過ごす一日が二日になり、三日になり、研究室内の研究会休みがちになり、それでもどうにか這うようにして学校に行った。研究会発表する順番が回ってくるたびに頭を抱えた。発表すればろくに内容が読めていないから当然のようにそれを指摘され、へこみ、回復できなかった。季節がめぐっていることに気づかないほど、家の中に埃がたまっていることに気づかないほど、精神的に擦り切れて毎朝毎朝起きるのが苦痛だった。できていないことが自分でわかっているからなお悪かった。周りの人が叱咤激励してくれるのが、逆に重荷になってさらにへこんだ。優しくされればさらにへこんだ。厳しくいわれれば立ち直れなかった。手を動かしさえすれば出来る作業にどうにかしがみついて毎週毎週何とか成果を作り出して指導教員に報告すれば、その進捗具合に自分でへこんだ。毎日が黒く塗りつぶされていくようだった。誰も悪くないのに、かみ合わない。一人で勝手につぶれていく。

結局ひどい体調不良から病院を転々として最終的に精神科に行き着いた。今は薬を飲んで落ち着いている。だが、原因となる研究とは切り離されていないから在学中に以前のように戻ることはないだろう。医者には人間関係はどうなのかと聞かれたが、どこでも良好ですと答えるほかなかった。ひどく情けなかった。人間関係は良好なのだ、良好であることが重荷なのだ。卒業が危ういのかと聞かれても、卒業は出来ると思いますと答えるしかなかった。見通しは立っていて、たぶん研究も一応の形として出すことはできるのだから、何を心配する必要があるのかと、高望みしすぎなのだと自分自身を慰めてみるが余計に惨めになるだけだった。地道に薬を飲んで毎週報告して経過を見ながら、薬を変更している。とりあえず最悪のときよりは落ち着いてきたような気はする。朝は相変わらず起きれないが、文章は読めるようになった。

たぶんどんなに環境がよくても自分の性質と研究という仕事マッチングしなければつぶれるしかないのだろう。同じ環境でも生き残る人は生き残るのだ。そのひとは自分よりもずっと優秀だけれども、自分ほどストイックではない。適当に手を抜いて息を抜いて、それでも結果を出してくる。それも才能のひとつだ。一年半でそういうことを学んだ。

どんなに環境がよくても、人間関係が良好でも、たとえ優秀であったとしても、自分をつぶすのは自分自身なのかもしれない。勝手につぶれていくときそこには言い訳がないから立ち上がる取っ掛かりもない。誰かのせいにしてしまえばいいのに、それがすべて自分に跳ね返ってきたら、自分が悪いとしか言いようがなかったら、当然潰れるしかないのだろう。そして立ち上がれない。

少なくとも社会人になる前にそういう自分の性質を知ることが出来たという意味では今後の人生において非常に有意義な二年間であったとはいえる。修士は二年間という期限付きだから、もしだめだと気づいても少し我慢していればすぐに過ぎてしまう。能力がないとわかればできる範囲内で何とかがんばれば、二年間あればなにかしらの形にはなる。もし潰れたとしてもその二年間をなんとかやり過ごせば、新しい環境に移ることができる。勉強料としてはちょっと高いが、しかし社会人になってから心を病むよりはずっとよかったと思っている。

修士の二年間で学ぶことは本当に多い。研究室にもよるのかもしれないが、わからなくてもいいから思い切って入ってみてそのときに思うことを一つ一つ丁寧に拾い上げていけば何事にも変えがたい二年間になるのではないだろうか。私は色々あったけれどもやっぱり、今の研究室にきてよかったと思っている。できれば今抱えている研究テーマがきちんとした形になって世の中の役に立てばよいと思うが、そこまでがんばれるだろうか。あと半年、時間はそんなにないけれど。

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  • お前が幸せになることを祈ってる。 お前はいいやつだと思ってる。 http://anond.hatelabo.jp/20081001004845

  • Re:anond:20081001004845 乗り遅れた感があるけれど、ちょっと書く。 いまM1の学生で、新しい研究テーマをスタートさせようとしているところ。 元増田とは逆で、サーベイしてもあまりにも情...

    • 研究しはじめだと論文はなかなか見つからないと思います。 検索の仕方については研究室の先輩に聞いたほうがいいと思いますが、それと論文が出てくるかどうかは別。 たぶんいくらか...

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