よしよし。
それに気づいたら、充足感とは何か、他人に充足感を与えるには、自分はどうあればいいかを考えることができるな。
揚げ足とりはこの辺にしておいて、仕事が死ぬほど忙しかったころ、夜中にたずねて言って話のできる女が無性に欲しかったのを思い出す。
確かそのやり方禁止されているはずなんだけどねぇ…周知されてないのか。
これは結構使えるんじゃないか
果たして、公の場でじっとしていられるか、挨拶ができるか、年上の人にきちんと向かい合えるか。子供の様子をみれば、その親が管理職に向いているか、幾分かの指標とすることはできるな。
ほとんど開発系ばかりだよね
あまり私のようなインフラ系の人の話は見かけない気がするが単に比べ物にならないくらい少数ってだけだろうか。
確かに開発系のように新しい言語だ技術だなんだってのが頻繁に飛び交うような世界じゃないし、激務薄給が多数を占める業界じゃないからなのかな。
インフラ系は各ベンダのプロダクトにべったり紐づくものばかりだから表に出しにくいってのもあるかとは思うけど…
1:コンサルタント
3:インフラ構築(サーバ、ストレージ、ネットワーク、ミドルウェアの一部)
4:アプリケーション設計
5:アプリケーション開発
6:運用
7:保守
1はほぼ独立、2と3は兼ねている場合有り、3と4は兼ねている場合あり、4と5は兼ねている場合あり、て感じかな。
当然2と4でも繋がってたりするわけだけど。
ネット上での話題はほぼ4と5なので少し寂しいと感じたり感じなかったり。一緒にワイワイ盛り上がりたいよ(笑)
一般人が圧迫感を感じるほど普及しているなら、エコはキャンペーンとしては成功しているな。
で、増田の件だけど。「怖い」ってことは、理由がすら分からないんだよな。そのまま放っといて、怖い怖いというだけなら、念仏のように「エコ、エコ」と口にしている連中と同じレベル。単に立ち位置が違うだけ。
エコが叫ばれるようになった大本の理由、二酸化炭素排出量が問題視されるようになった理由、その是非まで自分で調べるのなら、一段アップ。
まあ、そんなこんなで、一昨日OD(薬を大量に服用すること)をしてしまって、それをドクターに言ったら「今の薬で一シート飲んでも大丈夫ですよ」とか言われて肩すかしにあってしまって
結局は依存しているのね。
最初は親に、そのあとは奥さん、医者に
なにその厨房的思考。
そんなに心配してもらいたいんだ
自分の足場
夫婦の足場が崩れているのに
だから、お前の奥さんを乳牛として飼ってやるといったんだよ。
でも今のお前じゃ、奥さんが中田氏されても黙って見てるだけだね。
飼ってやろうか、お前の奥さん
はだかで鼻輪付けて、大小便はすべてオムツで。
人としてじゃなく、マンコもつかえる動物として飼ってやるよ。
それでもやる気にならないのなら、どうしょうもないね。
全然別の考え方があって、小学生のときから作文や絵画で細かいテクニックを詰め込み、そこを指導しても入り口でやる気をなくすだけだから、好きに書かせれば、描かせれば、いいんだという意見もある。
もちろん、その意見はモチベーションを失わせないようにしながら、いいところを誉めて伸ばしていく気の長さが教育者に必要で、当然だが日本の義務教育についてはそれはできない。しかし、テクニック指導にしても全員に合ったテクニックを教える時間はないから、おなじか。
俺が言いたいのは、増田がモチベーションを維持できた(はず、と言い訳している)方法ではモチベーションをあっさり失うやつがいるってこと。
なんとなく言いたいことは伝わるんだが、元増田の言う「自由に描け」は「周りにある好きなものを好きなように描け」程度の話じゃないの?
元々、遊び相手がいなくても平気な非モテ非リアでした。
去年はじめて彼女ができました。
けど、さいきん彼女と別れました。
以前はひとりで過ごせていたはずの休日が、今日ひとりで過ごすのが辛い。
彼女への未練とかじゃないけど、誰かといるときの充足感が欲しい。
「エコと言いながら買い換えを勧めて廃棄物を増やす」っていうことについては万遍もつっこみが入ってるからいいとして。
それに目をつむったとしても、大問題が残ってる気がする。
エコ換えを勧める理由の一つは、環境負荷の低い製品に変えることで、環境負荷を小さくするっていうもの。
だけどさ、車にしろなんにしろ製品を作る段階で、油を湯水のごとく使って環境に負荷をかけるわけで、
新たな環境負荷が掛かることになる。
ここで2点問題が出てくる。
ひとつは、そのような状況にあるわけだから新製品を長期間使用しないと"元は取れない"。
車は長期間の使用を前提とするモノだけど、そのように宣伝しているのかどうか。
もうひとつは、(意図的に?)新製品作るときの環境負荷について触れずにランニングコストの有利不利だけを語ることは詐欺的行為ではないか。
「即金でマンションを購入すれば月々の支払いが管理費だけになって、アパートの家賃より負担が大幅に減りますよ」
と言って無理矢理マンションの購入を勧めるのと同じように聞こえる。
経験則(モロにその新人と同じ状態になった事がある)。
まともに原因考えられる状態じゃないから、休ませるなり辞めさせるなりしないと立ち直れない。
自分の場合は、ある日プッツリと糸が切れてバス停で号泣、そのまま上司に「辞めたい」と申告。
あの時は「死にたくは無いけど何か事故に巻き込まれて仕事出来なくなったりならないかな」とか
物騒な事を平気で考えられた。そこまで追い込まないで
医療事務のワシが通るよ。
>じこはんだんでやめてる時点で治療受ける資格がないような気がする
それはないよ。治療を受ける資格がない人はいない。医療従事者はみんなそのことを知ってる。(資格があるのに、治療を受けれない人がいることも)
ぶっちゃけ、保険証に書かれてある「保険者番号」と、「記号・番号」と、「家族か本人か」だけ分かればいいんだけどね。
「保険証見せてください」ってのは、有効な保険証を確認して病院側が安心したいだけなんだ。
だからコピーでも、メモ書きでも可。あとは受付の人が分かってくれるかどうか。
受付の人が分かってくれなければ、「ケースワーカーを呼んで下さい」って言って、ケースワーカーの人に事情を説明すればいいと思うよ。
>愚かなのわかってるのに辞めたってことが恥ずかしすぎるし
じつは、そういう人は珍しくない。よく見かける。
巡り合わせとか、タイミング、みたいなことがあるのだと思う。非科学的で申し訳ないけど。ほんとそう思う。
>まあ誰かに背中を押してほしいんだろうなぁ
行こう、って自分で思える時に行けばいいんじゃないかな?
一定以上のレベルの芸術の話すると、実は「何を書くか」の「何を」が全くなくなったときこそスゲーもんができるんだけどね。そうするとそこに残ったものは純粋な「技術」なんだけど、「技術」ってのは外部=他者なんだ。題材なんてのはその人の心の中に元々あるものに過ぎなくて、けっきょくナルシシズムになっていく。で、そういった自者=ナルシシズムは極めて偏ったウソの世界で、予定調和で陳腐。人間が発想できることなんてパターンが同じ。奇妙に走ろうとすればするほど陳腐、ありがち、となっていく。そこで他者が必要になってくるんだね。この辺、批評ではよく言われてる。エスパー魔美に出てくる、パパの絵を陳腐と言い切る批評家の文章もこういう感じで、ああ藤子Fはよく勉強してるなと思った。そしてそのマンガの中で魔美は批評家に文句を言いに行くけど、勝てないんだ。批評家の方が圧倒的に正しいから。
よめさん20代? 30代ならいらね。あとおっぱい大きくないと。
まあ、それは兎も角。
今の状況でいつまでも安穏していてもどうにもならなくね。
子供はまだ作らないほうが良かったかも。
だって現状を抜け出せなくなっちゃうから。
こともがいると辛いよね。
あなたのうつがどんなプレッシャーが起因しているか知らないが
「仏敵」とか、「正義の○○」とかが見出してで喚いてる新聞があるじゃないですか?
なんか、聖教新聞とはちがったような気がするんだけど、
電車でとなりに座った人がそれを開いてて、「怖ぇぇぇぇぇぇぇっぇぇ」って思ったよ。
というか人間ていうのは「世界観が全く違う人が目の前にいるとすごく嫌で、説得したい」と思う生き物なんだよ。
ここに書き込んでるのもそうだし。
技能教科ってのはあれ、要はダイジェストだけ体験しましょうって方向なんだろうな。国語でも文法はともかく、小説なんかだと日本や世界の文豪の書いたもんをダイジェストでほんのちょっとだけ読んでみてよっていう。興味がある人は習いに行くとか独学するとかして自分でやって、みたいな。
これは思うなあ。中国行って中国人と話してると、彼らはほんと日本語しゃべれる人が多いんだよね。一つはそれで儲かると思った連中がせっせと勉強したってのもあると思うけど、もう一つは物怖じしないでがんがんカタコトでも話しかけるから上達が早いんだよね。日本人だとどうしても「こいつ何しゃべってんのかわかんねーよ」と思われるんじゃないかとか、「メチャメチャな言葉で話しかけるのは失礼なんじゃないか」とか、色々ネガティブなことを勝手に考えちゃうんだよね。それが完全に上達を妨げてると思う。もっと完璧になってから使おう、とか。そのもっと完璧になる日はとうとう来なかったりするんだけどね。
絵の話、なんか共感できないなーと思いながら長時間眺めてて、ようやく理由が分かった。
俺は元増田と違って「どう描くか」を考える前に「何を描くか」を考える人間だったってだけみたいだ。
絵の場合は評価基準も案外そこにあるのかもしれないね。画用紙一杯に対象物を描く方が評価されるし。
作文に関しては同意するよ。そうやって悩んでた友達はとても多かったから。
「にんげん」....憶えてますよ。表紙がオゾマシイイラストのあの本ですね。
道徳の時間はすべて部落差別問題(たまに障害者差別)に充てられました。教材は、「にんげん」もしくは先生が用意したプリント。
「にんげん」の表紙のおぞましさは忘れられません。表紙になにか別の紙を貼って隠してしまえばよかった。あの表紙は今でもみたくない。