2008-08-09

11年目の少女革命ウテナ

先日、まとまった時間ができたので何かテレビシリーズを頭から終わりまで一気に見ようと思い、少女革命ウテナを視聴しました。テレビ放映から11年目にして初見です(確か当時は耽美的な装飾が苦手で敬遠していました)。

見終わって感じたことは、見た目とは裏腹に伝わってくるメッセージは非常にリアリスティックでとても興味深かったです。

以下に少女革命ウテナから私が受け取ったメッセージについて備忘録もかねてつらつらと綴ってみようと思います。ちなみにあえて他の人の感想を一切読まずに書きます。それと映画版は未見です。

少年少女の住む世界

少女革命ウテナ舞台は学園です。物語はすべて学園の内部で終始し、学園の外というのはまったくと言って良いほど描かれません。全寮制であるという設定を鑑みても、例えば、生徒達の里帰り的なエピソードが挿入されても良いですし、修学旅行もしくは海水浴などのエピソードを入れても良いはずです。

しかし、少女革命ウテナはそれをしなかった。

それは現実少年少女たちが、事実その通りだからです。少女革命ウテナ舞台設定は少年少女たちが価値観、交友関係すべてが学校に規定され、そこから逃れられない様子を現しています。

少年少女たちにとって世界とはすなわち学校なのであり、現代社会においては例外はほぼあり得ない。

不登校であろうが、それは学校から遠く離れた海水浴ではなく、学校内部で殻に閉じこもる引きこもりでしかありません。

少年少女たちはどこまで行っても学校から離れることはできないのです。だから少女革命ウテナでは学園の外が描かれることがない。

少年少女にとって世界の危機とは何か

この作品の登場人物たちは、現実の私たちがそうであるように、皆が他者とのコミュニケーションで悩みを持っています。

作品の中盤にあたるエピソード郡は、すべて脇役がコミュニケーションの問題に直面し、葛藤することに充てられます。

それはひどく個人的な問題ですが、学校世界である彼ら彼女らには、コミュニケーションの問題とはすなわち「世界の危機」へと拡大解釈される。親の庇護の元にある少年少女らが直面する問題とは、コミュニケーションしかない。

この作品では「世界の危機」に直面した少年少女らは危機を解決するために剣を手に持ち、主人公ウテナ決闘をします。そこで唱えられる言葉は「世界革命するために」 。

世界革命」とは、彼ら彼女らにとって「世界学校」の「危機=コミュニケーションの問題」を解消すること、つまりは「自分の理想的な環境を手に入れる」ことです。しかし、主人公ウテナによってことごとく打ち砕かれます。

この「主人公は絶対に負けない」というアニメ的なお約束は、何を現しているか。

彼ら彼女らは行動は周囲の人間を変えようとするものです。自分は変わることなく、周囲が自分にとって最も望むべき形の接し方をしてくることによって革命は完了する。

絶対に完了しない革命は「周囲の人間は変わり得ない」という現実を現しています。一人の人間意識を変えることすら難しいのに、多数の人間を自分の思い通りの思考形態にし、好ましい位置に配置する。そして、その関係を維持する。そんなことは不可能です。

では、この作品の放つメッセージは諦観に満ちたものなのかというと、そうはなりません。

決闘に敗れた人間は作品内において、破れた=理想的な環境を手に入れることができなかったにも関わらず、どこか以前よりも晴れ晴れとした表情になります。それは破れることによって「他者は変えられない」ことを知り、「自分自身を変える」しかないんだと気づいたからに他なりません。

他者や環境は変えられないけれども、自分自身の考え方や振る舞いを変えることはできる。それによって理想的とは言わないまでも、少しの改善を見込めることはできる。

少女革命ウテナはこのメッセージをひたすら繰り返してると言って良いでしょう。

少年少女世界の狭さ

物語の終盤、学園を支配する理事長との決闘を終えたウテナは、学園から姿を消してしまいます。そして、学園内の人間からその存在を忘れ去られてしまう。

そして、この作品のヒロインである姫宮は学園から消えたウテナを探すために、自らも学園を去り列車に乗って旅に出るところで物語は終わります。

このシークエンスは言うまでもなく、少年少女らの世界の狭さを看破しています。

他人は変えられないから自分を変えよう、自分が今いる世界がすべてではなく容易に外に出ることができるのを知ろう。

これが少女革命ウテナから私が受け取ったメッセージです。

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