最近の流れを見て思ったことをつらつらと。
つっても私が知ってるのは数年前の話なので今は少し勝手が違うかもですが。
なんか「学歴があろうが無かろうがすごいやつはすごいし駄目なやつは駄目」みたいな方向のエントリをいくつか見かけたけど、そんなのは当然のこと。
そりゃ世の中にはdankogai氏みたいに学歴なくても技術やら才能やらで乗り越えていけるような人もいるだろうさ。でもそれは少数派。
京大の電気系やら情報系やら行けば、「技術やら才能やら」を持ってる人はたくさんいる。山ほどいる。自分でプログラミング言語設計しちゃうような人やプログラミングの世界大会とか行ってるような人が普通にいる。
で、そういう学歴も能力もあるような人たちはどういう就活をしていたか。
大半の人は普通に大企業を目指す。しかし「女。京大生」の人が言うところの「学歴は高いが、コミュニケーション能力が低い」タイプの人はここで苦戦する。
それでも選り好みが激しくなければ、学校推薦なる制度である程度のところには就職できる。実際私のいた専攻ではこれが一番多かったように思う。
(※ちなみにこれは修士課程での就活の場合。京大の理系だと大半の人は修士まで進学する)
正直なところ、当時の私はこれが納得いかなかった。
世間知らずで平凡な学生だった私から見るとすんごい天才でスーパーハカーな彼らがたとえ大企業とはいえ社会の歯車のひとつになり下がってしまうのはもったいない!と思えてならなかった。というか天才で変人なギークが大企業で歯車とか向いてないだろ常考。
で、中には「俺が大企業で歯車とかもったいない、っていうか向いてないだろ常考」って思う人も当然あらわれる。もちろんそんな状態で就活しても失敗する。
そういう人はとりあえず起業する。もしくは知人の起業したベンチャーに転がり込む。
当時は結構な起業ブームで、後先のリスクとかあんまり考えずにほいほい起業する人もたくさんいた。
で、現在。今でも連絡取ってる大学時代の知人のうち、半分くらいはニートorフリーター。
なんだろう。当時優秀で天才でエリートだと思ってた彼らが、現在趣味で作ったWebサービスとか公開したりしつつぼそぼそとくすぶってるのを見るとなんかやるせない気分になる。
所詮は彼らもその程度までの人間だったのか、単に不器用で社会に適合できなかっただけなのか、一体彼らに足りないのは何なのか。
ほんとにエリートとして生きていくためには一体どれだけのものが必要なのか…
個人でできることには限界があるからこそ、組織を作る意味があると思うんだが。どんなすごい人といってもあらゆる分野で優秀なわけでもないし、優秀なら大企業みたいなでかいところ...
受験生のブログに批判した人が 日本語教師のブログで 「元のブログにそんなこと書いてないよ」 と逆批判された人を思い出した。
正直なところ、当時の私はこれが納得いかなかった。 世間知らずで平凡な学生だった私から見るとすんごい天才でスーパーハカーな彼らがたとえ大企業とはいえ社会の歯車のひとつに...
単なる人生観の押しつけかよ。