私は移民政策に反対だ。日本のように今まで単一民族でやってきた国家に労働者階級としての外国人を入れることは、治安問題において重大な懸念となるからだ。しかし今大学で学んでいるゼミの先生によると、日本人は古くから移民を招き入れていた雑種民族だというのだ。単一民族だと思われがちな日本人には実は渡来人や南方ポリネシア系の民族などの血が混ざっているという。けれどもそんな彼らは今は立派な『日本人』になってしまったというのだ。
それは時間がそうさせたのか?と質問した。
しかしその先生によるとそうではなく、彼らは日本語を話すようになって『日本人』になってしまったというのだ。
日本語は論理だった言語ではなく、『空気』を察することを前提とする非論理的な言葉だと言う。その『空気』を読むことを要求する日本語を扱う力が日本人を日本人足らしめているというのがその先生の論だ。だからたとえ労働者階級の移民であってもしっかりと日本語の教育をすれば、ドイツやアメリカのようにゲットーが発生したりして社会問題化することはないという。
その先生はドイツへの6年ほどの留学経験のあるドイツ語の先生で、東洋哲学の研究者というよく分からない履歴を持った方だ。ドイツでは社会問題になっている移民問題を直接目にしてきただろう。その経験を経てなお前述のような主張をされるところに驚愕する。移民国家のアメリカのことを私が子供の頃は『人種のるつぼ』といっていたが、人種は混ざりあわないという理由で近年は『人種のサラダボウル』と言い換えている。そんなアメリカやドイツの現状をふまえてもなお、日本語というツールは人種間の壁を溶かしてしまうというのだ。
この先生の論を積極的に支持する勇気は私にはない。もしこの論が間違いだったならそれは日本にとって取り返しのつかない打撃を与えるからだ。しかしその一方でこの論に魅力というか希望を感じたりもするのもまた事実である。日本人は外国の風習を日本人になじむように取り入れるのが非常に上手い。その外国の文化を自国風に取り入れてきた実績が、移民をも日本風に取り込んでしまう可能性を示しているということは確かにあるのではないか?そしてそのための非常に大事なツールが空気を読むことを前提とした、なぁなぁな日本語だというのは確かにあり得るのではないか?
本題から逸れまくり。 >日本語は論理だった言語ではなく、『空気』を察することを前提とする非論理的な言葉だと言う。 時々見かけるこの手の言い回しに強烈な違和感を抱いて...
日本語は場合によって主語や目的語や動詞など、あらゆる単語の省略が許される時点で、欧米諸国の言語と比べると非論理的です。 『僕はうなぎだ』という文章が日本語として成立して...
> 『富士山が見える』 < "Fuji is seen." 日本語の専門家に限って日本語をおとしめようとするのは悲しい 国語嫌いの元増田
一応突っ込んどくが、ヨーロッパ系の言語でも主語目的語とかの省略があるのはよくあること。ないとされてるのは現代英語くらいのもの。ひょっとして英語が普通の欧米の言語だと思い...
「被告人は日本語」 http://mongolia.seesaa.net/article/37813329.html
時々見かけるこの手の(ry 言語と文化と環境・地域ってのは不可分だと思う。 不可分というか、住んでる環境が文化を作って言語を作り、言語が文化に影響を与え、文化が環境に影響して...
> 国語嫌いの元増田。 < とは誰のことを指していますか?http://anond.hatelabo.jp/20080705220130を書いた私でしょうか?それとも、http://anond.hatelabo.jp/20080705211857を書いた方ですか?『元増田』...
英語だって、いくらでも非論理的に書けるっつの。 これは言語の問題じゃない。訓練の問題だよ。