http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080622/sty0806221928005-n1.htm
これを読んで思い出したのだけれど、毒キノコ図鑑か誰かのエッセイか何かで読んだ話で、キノコ取りの名人は毒キノコを覚えるわけではなく、食べられるキノコ(と、それによく似た食べられないキノコ)を覚える。というのがあって、つまり安全側に振っておけということだ。
そもそも、人が食べておいしい、無害というのは、品種改良の結果か、あるいはそういう戦略だったかというだけで、例外的なことだ。戦略というのは、捕食対象になることにより、消化されない種が広まったりだとかそういうことで、それ以外のものは、もちろん無害のものも多いけれど、腹が緩くなる程度の弱い毒まで含めると相当数の植物が毒をもつ。
たとえば、トウガラシはあきらかな刺激性を持ち、なぜか好きこのんで食べる動物、人間がいて、その結果栽培されるようになり、戦略的には成功したわけだけれども、これは本来動物に補食されないためのものだったはずだ。
そういえばもう一つ思い出話で、ぼくは昔、加熱処理したそこら辺にいるカタツムリを食べたことがあるのだけれど、これは結構危ないことらしい。寄生虫の宿主である可能性があり、他にも細菌感染する可能性もある。それにそんなに美味しいものでもない。
とにかく、健康的な生活をしたければ、そこいらでとってきたものを容易に口に入れてはいけない。山菜やキノコや、もちろん鳥類、魚類などの動物も自分で採取、捕獲して食べる場合には十分な知識を持って当たるべきだ(個人的には川魚を生食するのはそれがちゃんとした店で出されたものでもかなり躊躇する)。
(このあとに、害のある自然礼賛主義に対する批判が400字ほど続くのだけれど、今回の本題ではないので省略)