2008-05-07

エントリフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係

 最近ちょこちょこ見かける「専門家の著書を読み込まないバカは発言するな」という罵倒に呼び起こされた俺の妄想だ。だからもちろんソースは出せない。問い合わせられてもなにも答えられない。

 故小渕氏が半紙を持って記者会見に臨んだ時期の前後数年間、俺はとある非営利法人に勤務していた。まだNPO法人制度が整備される以前のことで、それ自体は自治体の認可と出資を受けた社団法人だ。行政からは初期出資以外の補助金も主に人件費名目でかなり支出されており、俺も名目は非常勤の自治体職員としてその法人に出向していることになっていた(はずだ)。当時は今ほど公務員叩きも行われず、時間外手当こそ出ないものの、業績も成果も無関係にそれなりの月給が社会保障込みで保証され、しかも仕事内容は「バイトでもできる」レベル、有り体に行っておいしい仕事ではあった。(当該自治体今日破綻の危機にあるのが、俺のせいかどうかは知らね。)

 しかしこ社団法人、実態はとある市民団体の外郭団体というか数あるダミーのひとつというか、むしろその市民団体の下僕ってのがもっともふさわしい表現だろう。そんなところへ俺みたいな性格と趣味性向の持ち主がなんで雇われることになったのかについては割愛する。というか迂闊なことを書くと正体を特定されそうだ。

 正体を特定されると何がまずいかって、なにしろその市民団体がこれまでやってきた行いが尋常じゃない。なにしろ彼らの意に染まぬ発言をし謝罪と妥協を拒否したとある御仁にいたっては、自宅の周囲を街宣車で数週間にわたって取り囲まれ大音量で彼らの主張を繰り返され、ご子息は彼らの意を受けた教師らにより学校で吊し上げられたそうだ。家族や近隣住民を巻き込んでの実力行使をしでかす連中相手に立ち向かう根性は俺にはない。

 ちなみに彼らはその行為を現在に至っても反省していない。法廷で有罪を喰らったこと自体は反省してるようだが、「もっと上手くやれば良かった」という戦術級の反省でしかない。そういや部下の発言を根に持っていびり自殺に追い込んだ上司も、一人や二人じゃ済まなかったっけ。

 あと、一番多かったのは、こじつけ組織責任を問うパターンだな。中でも印象に残ってるのは、駅のトイレ落書きを根拠に鉄道会社人権に関する姿勢を糾弾した事件。(そろそろ何という団体か分かってきた人もいると思うが、もちろんこれは俺の妄想だ。)不特定多数の乗客が利用するトイレ落書き鉄道会社責任に帰して、社内研修予算を確保させやがった。もちろん形式的にはそれが直接市民団体に流れるわけじゃないんだが、そこで生きてくるのが俺が勤めてた法人。研修会の主催使用テキストの発行元も派遣する講師の所属もその法人で、研修予算のほとんどが法人に入ってくる。そして法人は毎年上納金を市民団体に納めるってからくりだ。

 それなりの大手の企業/団体の社員/職員研修となると年間数百万なんですぐだし、そういう成果が数百は存在する。もちろん窓口となるダミー団体も複数あって、結局年間数十??数百億が無税で(おっと、テキスト代の消費税は払ってたっけ。)市民団体に流れ込む。

 手口は微妙に異なっても、右翼団体や総会屋のやってることと本質的に大きな違いはない。俺たちノンポリの下っ端は、「えせ○○じゃなく本○○だな、俺たち」とか自嘲してたもんだ。もちろん以下に述べるような構成人員の資質や組織のあり方も、右も左も保守革新反動進歩も、そんなに大きくは変わりはせんだろうと思う。ベクトルの方向は違ってても、その先でやってることは五十歩百歩なんじゃねえの、とは思う。

 さてまぁ脱線した。その市民団体の主たる主張はある種の人権擁護なんだが、他の様々な正義平和と人道を標榜する団体と友好関係にあり、互いにしばしば主催する集会等への動員要請が行われていた。で、そういう要請は基本的には下っ端にしわ寄せが来るようになっている。8月6日ヒロシマを筆頭に、ずいぶんといろんなところの員数合わせに駆り出されたものだ。(従軍慰安婦とか南京事件とか○○の人権を求める市民集会とか××を糾弾する市民の会とか、アベレージで年に5??6件は出席した。もちろん俺の所属する法人orその上部団体が直接主催するもの以外でだ。)業務の一環として出張扱いになった上で交通費も現地行動費も出してくれるんだから、断る理由も特にない。

 もちろんこれをもって「沖縄の11万人」がどうこうとか言い出す気はない。俺という異分子が1人紛れ込んだ集会がかつて存在した、というだけのことでしかない。がまぁ必ずしも俺一人が際だって異質だったってわけでもなかった。ある時は集会で眠気をこらえある時はデモ熱射病に用心してるうちに、似たタイプの人と親しくなったりするんだ。熱意なんぞ欠片もないがしがらみと人間関係とその他もろもろに絡め取られて動員されてる人たちと、同病相憐れみ、互いに愚痴りながら、所属団体に関して話し合ったりもする。

 で、結局愚痴の行き着くところはいつも似たようなもんで、「人だねぇ」。どこでも運動のトップとか指導者は似たタイプだし、運動に理論的正当性を与えてる学者研究者ってのもまたどのジャンルでも似たり寄ったり、もちろん下っ端で熱狂してるのも、はたまた利害づくで参加してる人たちも、これまた似たようなもんだ。利害づくってのは一番分かりやすい。運動から甘い汁(主に行政からの個人給付……おっと。)を吸えるなら参加するし、吸えなくなれば離れる。別に一般の勤め人とメンタリティが異なるわけじゃない。俺たち「最初は純粋だが今は冷めちゃった」連中より多少は熱意のあるふりが上手いだけだ。

 真面目な下っ端ってのはほとんどが主観的に純粋正義への熱意に基づいてるだけで、なんということはない。言ってしまえばカルト信者と異なるところはない。頭を叩きつぶすか、個別に一本釣りして脱洗脳を施すか、運良く何かの偶然組織から離れるか、だ。ちなみに俺は三つ目の「運良く偶然組織を離れ得た」口だが、これまた詳細は秘密

 トップにも二パターンあって、ひとつは純粋な下っ端がそのままのし上がった口。もっともこういうのは大概、「敬して遠ざけられる口」ではある。なにしろ清濁併せ呑むことができないから。で、もちろんそういうのは少数派。残りはもちろん下衆野郎893の頭目やら汚職議員ゾロゾロ。(特に西日本……)

 俺の勤め先だと、理事長前者タイプかな。お飾りでお神輿なとっちゃん坊やにして便利な宣伝灯。一番勢力の大きい部門の部長後者、分かりやすい俗物。昼間は数千人を前に人権尊重を講演し夜はセクハラ大王セクハラパワハラの合わせ技を連発しつつ部下の若い女性を片っ端から喰いまくるエロ親父。で、一番タチが悪いのが事務局長かな。表では大学講師の肩書きを背に正義平和と人道を説きつつ、事務所に戻れば部下を交換可能使い捨て消耗パーツとしていびりぬくことに楽しみを見いだしてるとしか思えん。いやいや、こいつの直属でなかった俺は幸せでしたよ。5年間で3人が潰された。

 さて、また話がそれた。ようやく本題に近づいてきたな。残る学者研究者だが、もちろん運動に正当性やお墨付きを与えてくれる先生方だけが、こういう連中と独立に存在してるわけもない。

 俺は上記のような講演・研修テキストとしての必要もあって、年間二桁単位ISBNナンバー付きの本を作ってきた。もっともほとんどが予算化している企業/団体への割り当てと組織内部の学習用で捌けてしまうんで、一般の書店にはそれほど出回っちゃいなかったが。俺の主たる任務もその一部の校閲編集だった。

 で、そういう出版物の著者が、市民団体と仲の良い学者研究者先生方だ。もちろん彼/彼女らの動機は俺は知らん。崇高な真理への欲求に基づく純粋なものかもしれんし、市民団体に利をもたらしそのおこぼれをもらうためかもしれん。書いて出版される内容は学術的に妥当なのかもしれんしデマゴーグなのかもしれん。読んだらためになるのかもしれんし洗脳されるのかもしれん。

 ただしその校閲編集をわずかなりとも担当した個人の感想として、「こんなもん出版して金取っていいのかよ」といいたくなる代物がそれなりの割合で含まれてたことは確かだ。上記のような市民団体幹部との対談をテープ起こしして「てにおは」を整えただけとか、(整えたのも俺だ。)出典とか引用元とかの調査を全部編集担当の俺に丸投げされて、インターネットの普及してないあの当時に泣きながら縮刷版とか復刻資料集(もちろん、本物の原典にあたるスキル担当者たる俺にはない。そのことは学者先生も承知の上だ。)をひっくり返しまくり、どうしても見つからないものは必死で出典に対するツッコミが入らないように原稿を書き換えたとか。もちろん「こんなんやっちゃっていいんですか」と上司にお伺いをたて、OKをもらった上で印刷所に渡し、ゲラ学者先生のチェックも受けましたがね。

 要は俺の脳内妄想レベル+αの代物が、ISBNナンバーがついて書店でもわずかながら売られて運動内部では「正典」扱いされる「歴史書」になっちまった。しかも対立団体からですら、その団体との分裂の前後以前の記述については特に誤りとまではされてないし、発行側と対立団体側の双方ともに大枠を認めてる代物を批判する学者さんも、少なくとも俺の目には入ったことはなかった。つまり外形的には「専門家間でもほぼコンセンサスのとれてる通説」になっちゃったんだ。

 うっかりそんなものを世に出す手助けをしちまったショックが強すぎてな、今更「正義平和と人道に関する歴史の通説」なんてもんを読む気にゃならんのだわ。いまだに書評やらその団体の内部評価を見ると、俺のでっち上げた代物が参考資料扱いされててな、正直、おぞましくてかなわんのだよ。とまあ、これが「俺はいかにして『まず学者先生の御本を読め』という言説にアレルギーを抱くようになったか」という妄想なわけだ。

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