2008-02-28

○○する自由はあるよ、ただそれをしたら××になるだろうけどね

という言い方をする人をネットでよく見かける。

「それじゃ俺/私には○○をする自由はないんじゃないか!」といった叫びに、

「○○する自由はあるよ。ただそれをしたら××になるだろうけどね」

抽象的な話ですまないが、

しかしそれは、本当に自由というのか、と疑問に思う。

といってもそう発言すれば今度はもっともらしい口調で「自由ってそんないいものじゃないんだよ?完全になんでも好きなようにできるってことじゃないんだよ?自由であるってことは自分の選択したことには責任が伴うってことで云々」などと言い出したりする。しかしそれはどうも違うように思う、ただそれを僕はうまく言葉に出来ない。

出来ないから結局反論できず終わるのだが。

僕がいいたいのはなんというのか……

「AもBも両方選ぶ権利が君にはあるよ。でも、Bを選んだら高確率でお前はフルボッコにされるだろうけどね」

と言われている状態というのは果たして「AもBも自由に選ぶ権利があり」、「Bを選んだらフルボッコに去れても仕方が無い、それはお前が分かっててそうしたのだ、自己責任なのだ、自由とはそういった責任が常に伴うものなのだ、自由は甘くないんだ」ということなのかということだ。

「AもBも選べるよ。ただしBを選んだら、お前は必ず死にます」くらい極端に決定事項であれば、「それは自由じゃないだろう!」とまだ言えるのだろうが(それでもタイトルのように発言する人はいるが)、現実世界というのはそんなはっきりともいかずたいてい、「ただし」以降の条件が100%というほど確実ではないが90%はそうだろうというくらいの微妙さで成り立っている。であるからこそその微妙さを巧妙に突いて、「○○する自由はあるよ?ただしそれをしたら××になるだろうけどそんなことはしかたがない自己責任だよね?」という感じの論調が近頃多くなるのではないかと思う。

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