さて、ここにくさやのにおいがする「くさいカッター」があったとする。においがすると言っても、刃を出した時だけしかにおいは広がらない。けど、刃を出したら部屋の中にそのにおいは充満する感じ。刃をしまえばそれ以降はにおいは広がらないが、それまで出していたにおいはある程度残る。
この「くさいカッター」を持った人が喫茶店に入ってきたとする。この人はおもむろにその「くさいカッター」を取り出したと思ったら、刃を出した。そのカッターを暫く5分ぐらい手に持ったり、机に置いたりして後、刃を収めてそのカッターをしまった。
また有る時は、道を歩いていたら、その「くさいカッター」の刃を出して歩いている人が向こうから歩いてきた。広い道なので普通にすれ違って、特に何事も無かった。すれ違ったあとには、かすかにくさやのにおいがするだろう。
さて、この「くさいカッターを持った人」のことを「くさいカッターを持たない人」はどう感じるだろうか?
これは、煙草のある側面のみを取り出して書いてみた。その点とは「においを周囲に撒き散らす」、「先端に触れたら怪我をする」という点のみ。それ以外は全く考えていない。
においに関しては、嗅ぎたくない人にとっては、煙草のにおいだろうがくさやのにおいだろうが、「嗅ぎたくないときに、におってくる」という点は同じ。「先端に触れたら怪我をする」も、滅多に無いことだろうが、持ってる人の手元が狂ったら怪我をするという点は同じ。
別にここまではこれで何が言いたい訳じゃないくて、なんとなく思っただけなんだ。
たまに「喫煙する権利」を主張する人間がいるが、これは屋内においてはおかしいと思う。何故なら、こんなのを認めたら上記の「くさいカッター」を使う権利も認めないといけないし、他に線香やお香を焚く権利も認めないとおかしいことになる。ある程度いろいろな人が集める空間では通常、社会的に「他人に迷惑をかける行為はしない」という事で通っている。だから別に、においだけでなく音や見た目というのも「他人に迷惑をかけない」がデフォルトである。それを考えると「喫煙する権利」なんてのは元々は無く、あくまで「デフォルトは禁煙」でその空間の所有者なりが「けど煙草は吸っても良い」という流れになると考えるのが自然である。他にも「デフォルトは禁○○」だけど所有者なりなんなりが「○○しても良い」と認めているとなるんだと思う。
だから「喫煙する権利」なんて主張する人は、こういう「ここでは煙草を吸っても良い」が見えてないと感じるんだな。確かに、喫煙できる所ってかなり多くて喫煙が社会的に大きく認められてるかもしれないけど、それでもあくまで(吸っても良いと)認められているだけ、当たり前に感じるのって嫌なんだな。
くさくないカッターを使えばいいじゃない。
でも道端でカッターの歯を出すのはよくないだろ? 人のいるところではカッターもタバコも控えるべきなのがデフォルト。
いや、その時臭いだけなのはまだ許せるんです。 煙草吸ってなくても色々臭い人はたくさんいるし。 ただ、煙草の臭いって残るのよ、髪にも服にも。 目の前で煙草吸ってなくても、喫煙...