2008-02-02

はてダ増田

ときどき、僕が増田で書いたエントリに「増田じゃなくて、はてダで書いて欲しい」みたいなコメントをもらうことがある。

でも僕ははてダでは書かない。

というか、書けないのだ。

反応がそこそこ大きかったエントリは結構あるが、そのどれもが、キャラクターとしての一貫性がない。

エントリによって、その後ろにすけてみえる「書いている人」の影が、余りにバラバラなのだ。

時には非モテ問題について言及する20代のモテない男であったり

「そこそこ彼女もいた、それなりにリア充」の男であったり

ときに厨くささの残る青い少年であったり

あるいは理系大学へ通う女子大生であったり

音楽について熱い主張をする女子高生であったりもすれば

30代の社会人であったりもする。

一人称は勿論、文のテンションや、段落の使い方の癖(段落使わず一気に書き込んだり、あるいは、いちいち一文ごとに段落をつけたり)、思うがままに書くタイプか、あるいはきっちり論文のように書くタイプか。句読点の使い方の癖。漢字の癖。言葉遣い。方言。そういったものがその時自分がどんキャラクターとして書いているかによって自然と変わる。一貫性がないのである。

その上、スタンスも変わる。○○擁護の観点で書いてみたりもすればそれを批判する立場でも書く。別にそれはいたずらにそうしているわけじゃなく、ただ単にどちらも僕の本心であるだけなのだ。僕のスタンスは酷く流動的で、たとえば「ウヨク気味で理系で時に言葉遣いが乱暴になる20代男性大学生」とか、そういうキャラクターが定まらない。

だからはてダは、書かないのではなく、書けないのだ。

僕が増田に書いたままにはてダを書くと、滅茶苦茶である。昨日○○派の発言をしていても明日は変わっているかもしれないし、一人称も日によってコロコロ変わる。文章の書き方もコロコロ変わる。三点リーダの使い方さえも。

僕もはてダで書いてみようと思い立った事も有るのだが、はてダというのは、「リアルでの名前が隠されている」という点では匿名ではあるが、個人認識が出来るという点では匿名ではない。連続した人格がそこにはあり、そこが、増田とは違うところだ。増田は個人認識すら出来ない。連続した人格すら見いだせない。とにかくただ、文章があるだけだ。どれを誰が書いたのか、わからない。時々、ある二人が議論していたと思ったら、「お前が最初にいってたけどさ」「最初に言ったのは別の増田だよ。俺は二つ上のエントリから参加したんだよ」と、途中で中の人が変わっていた、ということもざらだ(勿論それがウソである可能性もあるゆえ、ますます場はカオスとなる)。トラックバックをつけあい議論をしている中でさえ、相手に「連続した人格」を見出すことはできない。いつ中の人が途切れているのかも、続いているのかも、分からない。あるのはただただ、自分のエントリに反応した、エントリだけだ。そのエントリに返信したとしても、さらにそれに返信してくれたのは、さっきの人なのか、別の人なのか……それは分からない。話し合いから、連続した人格が追い出されてしまったのだ。そこにあるのはあくまで刹那的人格だけで、それは次へ進めばはかなくも消えてしまう。

僕にはそっちの方が合っている。連続した人格意識し、つまりある程度のキャラクターをもってして書くと、それだけ書くことは、制限されてしまう。勿論それはそれで楽しくもあるし、実際別のブログでは行っているけれども、しかし増田の内容を、そのままはてダで、ということは僕にはだから無理なのだ。この増田で書いたエントリは、増田だからこそ生まれ得たものなのだ。

僕のキャラクターがどうして一貫しないのかといえば、それはおそらく無意識になるべく中立な立場で読んで欲しいという思いがそうするのだろうと思う。例えば非モテを結果的に擁護するような話をする際、それを非モテというキャラクターが行ってしまうと、どうしても色眼鏡が出現してしまう。「それはお前がモテない言い訳をしているだけだろう」。そうなりがちなのだ。おそらく僕はそういった色眼鏡をなるべく外して、論そのものだけを見て欲しい、という意識無意識にあるんじゃないかと思う。非モテ問題なら敢えてモテ意識から書く。あるいは女性として書く。なるべくその語る物事から一番関わりの遠いキャラクターを、僕は無意識に選んでいるのだと思う。酸と塩基を混ぜて、中和させるかのように。まあ、それが成功しているかどうかはさておき……。

そういう意味で、はてダで発言をすればするほど、そのはてダにおけるキャラクターどんどん濃く、確固たるイメージになってゆく。「あのid○○さんが、そんな発言をするなんて」「あのid○○さんならきっとこういうだろう」「id○○さんがそんなこと言うなんて、見損なった。彼は△△な立ち位置じゃなかったのか」そういった縛りに僕は、囚われるのが怖いのだと思う。「こんな事書くなんて、僕らしくないと思われるだろうか」その思いが筆を止まらせるのが、僕は怖いのだろう。(そこまでそもそも知られないだろうけど、要は自分がどう感じてしまうかの問題だから)勿論キャラクターの枠があるからこそ言える事、面白い事というのはたくさんあるけれど、僕はその枠にとらわれることなく、好き勝手にその時いいたい、主張したいことをかけるこの増田も好きなのだ。

  • そういうキャラってことにしてダイアリやったらそれで済む話な気がしたが。でも増田が好きならそれはそれでいい。最近ちょっと鼻につくけどな。それはともかく、読んでて、意外と分...

    • それ見て思い出したんだけど、時々増田でも、「この人とあの人は同一人物だ」とか言う人がいるけど、皆そういうのどうやって判別してんのかな。全然わからん…思えば鋼の錬金術師の...

      • 男として書かれてるときには「女性じゃないかな?」と逆を言った方が、自分が「分かる奴」面しやすい、という戦略的な意味ならある。(俺は元増田じゃないからどうピンときたかはわ...

        • もっと言えば、若い女じゃないかという印象を受けた。理由は、思考回路がその年代の女のあるタイプに特有だったから。この増田だけはよく分かる。色んな書き方してるけど、思考回路...

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