2007-12-27

情報多すぎワロタ

情報ありすぎて何すればいいのか全然分からなくなって何もやりたくなくなる

って事がネット始めてからすげー増えてる。

例えば今だとさ。久々に大掃除とかしちゃおうかという気になったわけよ。

とりあえず風呂からやんべと重い腰をあげてみたわけよ

でも、今までなんか適当にルックとかなんとかその辺の洗剤とブラシでなんとなくこすって洗ってただけで

ちゃんとした掃除法ってよくわかんないんだよね。

まあでもそんなことはぐぐれば山のように出てくることだからいつものように気楽にぐぐるわけ。

うん。物凄く出てくる。風呂掃除について。

色々あるんだよね、なんか、重曹を使うだとか、これこれこういう洗剤をつかってゴム手袋してどうのとか、えらく本格的なのとか、色々あんの。情報多すぎワロタw多すぎて、どれを選べばいいのか、全然わかんないw笑えるw

ていうか、そもそも、どれが正しいのか、分かんねえし。

なまじ選択肢無限に近いせいで、「まだもっといいものがあるかも」とか探しちゃって、キリないし。

探してる間に適当でもいいから洗った方が早いんじゃねえかっての。分かってるけど探しちゃうんだよね。今自分の得てる情報がもしかしたら全然ダメな方の情報かもしんない、とか考えちゃって。間違いかもしんないとか。もっといいのがあるとか。キリないって分かってるけど探してしまう。そんで更に迷宮入りだよ。

初めから誰か他者に限られた情報だけを与えられたほうが気分としては大分楽だ。

変なことうだうだ考えずに、思考停止してただその情報だけを信じて動いていればいいから。

もしその情報が誤りだったとしても、自分の責任じゃないから気は楽だ。ただ不運さを愚痴るだけで済む。自分にはもともとその情報しかなかったのだから、仕方なかったのだ、とすんなり諦められる。

でも最初から無限に近い選択肢があって、それを自分で自由に選べるとなるとこれはものすごく面倒で嬉しい反面気が重い。

限られた情報しかなかった場合と同じように、ぱっと情報を一つ選んで思考停止して信じ込むこともできるけど、でも他者によって限られた情報しか与えられなかった場合とは違って、その「思考停止して信じ込む対象の情報」を選んだのは自分自身だから、間違っていたとなると自分に大きな責任がのしかかる。間違っていたら自分のせい。それが重い。たまにならいいけどそれがいちいちのしかかってくる。ネットでなんでも検索できるようになったから。それが時たま、重すぎて、嫌になる。その責任プレッシャーに耐えられず選ぶことさえできずに「もういいや。掃除なんか適当で」って最初から見てないフリしたり放り投げたくなってしまう。

情報多すぎて本当笑える。それをいちいち自分で選別しなくちゃならなくて、しかもその選別の責任オール自分。当たり前だけど。誰かのせいにも出来ないし、「仕方なかった」とか諦められない。自分のミスだから。

もうなんか面倒臭いんよ。

パンクしそう。

  • 風呂掃除なんか失敗したところで致命的なダメージを食うわけじゃないんだから、とりあえず最低限必要な情報を得たらすぐに動けばいいじゃない。

  • 風呂掃除はカビキラー使えばブラシで洗う必要ないから楽だ

  • っ「情報化社会における人間性の疎外」 そもそもワンフレーズで済む話に何十行も使うこたーない。

    • >っ「情報化社会における人間性の疎外」 いや、わかんねーって

    • http://anond.hatelabo.jp/20071227075836 ここでいう「人間性」ってどういう意味で使ってんだ? それは元増田とお前の間で同じ定義、あるいはコレを読んでいるROM増田と共通の意味で使われている...

    • 人間性の疎外っていうのは交換価値が表面化して使用価値がみえなくなることだから、この文脈では意味が通らないです。

  • お前は何もしない言い訳として情報過多という世間を使っているだけだよ。「俺が悪いんじゃない、社会が悪いんだ」。かび臭いよ。 http://anond.hatelabo.jp/20071227010902

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