2007-12-26

記号というもの

実名が晒されたというのは、実は個人が晒されたことには直接ならない。たとえばある人の実名が「鈴木一郎」だったとしても、それではどの鈴木一郎さんかはわからないからだ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50973892.html

これを読んで思い出した。

学校校長先生か教頭先生が、当時銀行の振込用紙の見本でよくあった「山田太郎」という名前だった。

先生は始業式や終業式のたぐいか、あるいは学年集会などで必ず、

銀行で用紙に記入して窓口に出すと、『お客様、そこはご自身のお名前をご記入ください。

見本の名前ではなく』と、必ず言われる」という、一種の笑い話をしたものだった。

そして、当時はやっていたマンガドカベン』の主人公を引き合いに出し、

「私はあんなに体格がよくはありませんが、名前だけ先に伝えておいて人と会うと、

『ずいぶんやせていらっしゃるんですね』と驚かれる」という話もしていた。

実際には先生は、中肉中背だったように記憶している。さして「やせている」わけではなかった。

「記号」というものを教えてくれたのは、実は、この山田太郎先生だったのかもしれない。

山田先生は、振り込みなどをする際には、窓口で毎度毎度運転免許証などを提示しないと、

本名であると納得してもらえなかったそうだ。

でも、実は同じくらい誰でもありえても「山田太郎」ほど平凡ではない名前、

例えば「高橋修」とか「田中明子」といった名前を持つ人は、

振り込み程度のことで、銀行でいちいち免許証を提示する必要はなかっただろう。

不思議なことだと思う。

そういえば、「ベン・ジョンソン」という陸上選手が活躍していたときに、

英文学で出てくる「ベン・ジョンソン」が

どうしても黒人筋骨隆々としたスプリンターイメージとかぶって困った、

という話も聞いたことがある。

しかし、陸上選手はBen Johnson、英文学はBen Jonsonなのだ。

それにしても「ベン・ジョンソン」さんはいっぱいいる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Johnson

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