2007-12-26

正直な話、高学歴というものをはかりかねている。

俺は有識層の人達には、社会にどれほどの貢献度を

与えてくれるのか、ということを期待しているのだけれど

学歴社会に入ってから(バブル後の終身雇用制度以降の

学歴に重点を置いた雇用制度)果たして社会貢献度という

ものは増えている傾向にあるのだろうか?

おそらく学歴、というものの本質には偉人の流れを

組み込むというものがあるように思っている。

世に言う偉人達は、さまざまな啓蒙すべき思想規範

生活水準をあげる発明などをつくりあげ、

文明という既得権益を増してきた。

これは学歴社会になる前の出来事のほうが多い。

学歴社会は完成してからまだ50年も経たない

歴史のない文化だからだ。

キリスト老子孟子シェイクスピアゲーテ

エジソンフォード。後世に、歴史書にのるほどの

人物たちは、学歴社会とは関係のないところから生まれてきた

人物だ。

そのような人物を大量に生産するというものを

学歴社会思想規範部分からは解釈できると思っている。

だが、今の時代に後世に名を残せるほどの偉業を達成している

人物は、高学歴から出ているのだろうか。

これは、未確定な推測ではあるけれどおそらくは今後このような

偉人学歴社会からは出てこない。

これはなにも、偉人が出てこないから高学歴を批難してるのではなくて

学歴=一定の知識をもつことと偉人思想には

今の教育では接点がないのではないか

というものをとても心配しているのだ。

今は学歴がなければ・・・というように

学歴人生の必要物なので需要人数約1億人はあるのだ。

今後学歴社会というものの歴史が崩壊することはなく

おそらく1000年は続くものと思う。(人類全体の思想の完成がするまで)

学歴社会にはもう偉人思想はなく、

それが1000年続くことを想像すると

きっとどこかで、日本に一度恐慌が起きるか日本を含む

戦争がおきたとき、再び学歴という思想規範から

やり直すことになるんじゃないかなっていうこと。

こういう事態が起こる前から対処できればいいことなのだろうけど

それはきっと無理なこと。おきてからでないと人間は行動できない

から、今は肩身せまく人は人との距離をはかりかねながら生きる

しかない。俺超親友欲しい。

今、価値観の自由化がおきたために日本人はどこを目指して生きるのか、

という反証期間にある。

できれば俺の生きているうちに、一度思想危機を迎えて日本再生するさまを

みてみたいものだ。

スポーツ歴史はおそらく今はのぼりざかだから

偉人が次々と生まれている。イチローやらなんやら。

もしも全世界野球団体がアメリカの強さとならんだら

そこから一歩ぬきんでて偉人となれる力は、今の人類にはないだろうけどね。

というわけで、そういったものを創作にくみこんでさー

えらそうなこといえる立場になりたいので、来年は行動の年にします。

今ね、俺がながそっかなって考えてる格言は

哲学のないところに学習は無い

とか

精神とは、個人の考え方の体系のことである

とかはやらしたい、切実に。

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