2007-11-01

都産貿同人誌即売会騒動に際して

 同人誌に関心をある方なら10月中旬以降にこの話を聞かなかった人は少ないでしょう。要約しますと、「なんらかの理由」により都の会場運営側が特定の成人向け同人誌即売会の内容について問題を感じて、それ以降会場を提供するのを取り止めました。しかしその後、事の顛末が新聞で「都施設」「ポルノ漫画即売会」「過去6回開催」などという見出しで公表されてしまい、問題は一気に悪化。それまでは特定の同人誌即売会を廻る問題だったのですが、「ポルノ」等と言った表現が振りまわれた結果「不謹慎な都の公共設備の運用は不適当」というような考え方を匂わせるような基準で各種の成人向けイベントへの風当たりが一気に悪くなり、いくつかのイベント即売会主催者側の判断の元でサークル側に自粛を促がすかの如くの語調やイベント自体の形態を変化させたり、はたまた開催を取り止める例まで発生してしまいました。

 基本的にはどのイベントも「法令に準じた出版物以外を禁止」や「未成年者に対する配慮を気をつけて下さい」と予めに注意事項に書き記していましたが、「ポルノ」とかの単語が軽はずみに振り回せれた結果、特定のイベントに対して非常に厳しい眼差しが内外から向けられ、これが多大な影響を起こしたと言えるのではないでしょうか。

 法令に準じているかどうこうではなく、同人誌の中に社会悪と結び付けられる「ポルノ」があるというのが一人歩きしたが為にさらに状況は悪化したといえるのでしょう。事実その後に都の会場運営側も「成人向けの作品の販売自体を禁止するわけではないが、主催者側に法令順守の徹底を求めていく」と談話を新聞に載せているわけですから、同人誌の内容がどうこうというより「世論意識した反射神経的行動」が色々目立った事の顛末という印象がぬぐいきれません。

 主催者側も会場運営側もより多くの話し合いを進め、相互理解を深めることで必要以上に状況を悪化させないようにする必要があると思います。信頼関係がしっかりしていれば、外因性の迷惑や干渉が発生しても適時に冷静にそれに対応できるのではないでしょうか。一夜にしてこれが成り立つとは思っていませんし、このようなノウハウは簡単に取得できるものではないのも充分わかりますが、今回の事件の悲劇を繰り返させない為にも念頭に入れないと駄目ではないかと思います。

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 自分は20年近く同人誌を見てきているのですが、とにかく悲しかったのが、こういった隙間的イベントに作品の発表と交流の場を依存していたサークル活動へのひどい逆風となってしまったことです。

 大きな同人誌即売会でも様々な活動は可能ですし、ネットでの交流も現在のところ可能です。しかし隙間的イベントにはそれ自体に大きな魅力もあるのです。大きなイベントではやりとりが難しくなりますし、なによりもまったりとした交流はほぼ不可能です。物理的同じ場所にいることで成り立つ対話や新たな作品との偶発的な出会いネットでの交流とは異なります。どちらが良いという話ではなく、オンライン・オフライン、両方の交流が大事なのです。

 そもそもこう言った隙間的イベントにおける創作活動はその他の表現の発表の場ではどうにも目立ちにくく、埋もれがちになりやすい側面があります。同人誌委託販売書店において先鋭的な作品は取扱にくいこともある現状がありますから、小規模オンリーイベントには他では日の目を見ない作品の為に発表の場を提供すると言うはっきりとした意義があります。

 「少女に対する性行為や猟奇的な描写などを売り物にしたコミック」が販売されていると新聞で書き叩かれた件のイベントでも女性サークルさんも結構の数が参加していて、やおいとかショタとかの区分けとは別の個性的な女性らしい作品が見れる数少ない場所の一つでした。「過激すぎたから叩かれたのだ」と言うのは簡単ですが、その乱暴な思考の元で様々な貴重な芽が潰されていくのも事実だと私は信じて止みません。

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 しかし今回の一件を振り返って思うことの一つは現在同人誌に携わっている方々はどこまで「ニッチ(少数派・特殊趣向)である事の覚悟」の必要性を自覚しているのだろうかという事です。

 今回は美少女男性向け創作が槍玉に挙げられましたが、実際には「パロディ」も「やおい」も「同人誌と言う概念」自体もまだまだ世間一般では広く認知されているわけではなく、非寛容な意見の元で吊るし上げが行なわれないという可能性は否定できません。『電車男』やアキバ系という単語がマスコミの間でもてはやされる最中において、なかなか気付きにくいかもしれません。しかしマスコミを通して焦点を当てられている「萌え」の概念とその取扱については日本国内の中でかなりの隔たりがあるということです。要は明日は我が身にも、と言う可能性があると言う事です。

 しかし同時にもし自分たちの趣向が特殊でありことを認識し、それをより確実に守る姿勢を打ち出せれば、今回の事態もこれほど悪化しなかったのではないかと頭を傾げます。内容がどうこうではなく、その内容はどうすればより拒絶反応を避けられるような形態で守るのかを可能にする姿勢です。

 そもそも16年前、1991年2月25日新聞見出しに「大手含む書店摘発:わいせつ漫画の販売容疑」や「正規のルートに乗っていない本」と書き立てられ、日本の成年向け同人誌は非常に苛烈な冬の時代を味わった過去があります。その時にもはっきりした事は、規模が大きくなるにつれ少数の間で楽しんでいた物事がより厳密に公然と精査されるようになり、異なる基準が衝突する時、重大トラブルが発生しやすいという事ではないでしょうか。

 あの時の教訓や同人誌立ち位置を廻る議論が現在おざなりになっているのではないか、と感じて禁じ得ません。

 古来同人誌は私的領域の延長線上にあり、同じ趣向の人間同士でやりとりするのが基礎でした。だから「同人誌」だったのです。しかし同人誌書店の台頭とインターネットの登場によって私的領域と公的領域の交叉が激しくなり、棲み分けが以前のように機能しなくなったのではないでしょうか。そもそも現在において同人誌商業誌棲み分け概念意識の議論が希薄になっているのではないかと危惧します。これはこの両者間の問題だけではなく、同人誌創作者やそれに携わる方々の「覚悟」に影響することと思います。

 なぜその作品を同人誌で送り出すのか。何のために同人誌活動を続けるのか。これらはそれぞれ自分で答えを見つけなければいけないと思います。一番怖いことは周りの流れに身を任せるままに居るといつのまにか自分では対処できない状況になりかねないと言う事を意識する必要があると思います。

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 最後に自分にとってもっとも大事なことは、規制の対象だからといってそれを「悪」とは限らない事です。創作物を「害悪」と決め付けるのは人間です。人間主観によって成り立つ価値判断であり、絶対ではないのです。これから先、何があろうともそれだけは忘れずにいたいものです。

http://www.translativearts.com/log.html

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