2007-07-24

下北で女を買った

その帰り、虚脱感と闘いながら若者に混じり安いメシを食っていたら、周りにいる女の顔がすべて

奥村チヨとか渥美マリとか、昭和からタイムスリップしてきた人間の顔のように見えてきて、

一瞬自分の頭がおかしくなったのかと思った。

最近女の子の顔は綺麗になったなんて言ったヤツは誰だ。

帰りの井の頭線の車内ではそれがさらにひどくなり、今度は風景がすべて昔の映像のように目に映る。

ブラウン管の画面を見ているようだ。

2007年に撮影された光景は、2037年にはこういう風に映るんだろうな、とぼんやり思った。

そして向かいの席に座っている、疲れた50くらいのおっさんを見ると、おっさんが25くらいの時の姿が

目の前に浮かんでくる。

このオッサン、ぎょろっと目をむく癖は若い時から変わってないな。

隣りの小ぎれいなハタチくらいの女の子を見ると、彼女が50過ぎた時の姿がリアルに見える。

彼女は幾つになっても髪だけは綺麗だ。

その奇妙な時空の歪みを覗いていると、目に映る人間すべてが、愛おしいものに思えてくる。

彼らの一つ一つの人生は、それぞれに美しく定められたものなのだと理解できる。

人は皆、今という時間にいっとき間借りして生きている。

ほんの一瞬だけ、彼らに接することのできる自分が今ここにいるんだ。

というようなことを電車の中でヒシヒシと実感して、1人感動に打ち震えていた。

妄想にもほどがある。射精後の精神の緩みというのは恐ろしい。

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