高校生の頃。何かと俺をライバル視して絡んで来る人がいた。ライバル視、というよりは自分より下の存在にしたかったというような思春期特有の不安感からくる、自分より弱そうに見える者への攻撃性の発露だったのかもしれない。俺は俺で、彼のことをなんとも思っていなかった。その頃は人間全般に対してそうだったが、特にそいつには興味が無く、好きとか嫌いとか、ましてや自分と比べるなどといった思考は一切持ち合わせていなかった。
普段は話さない彼とごみ捨ての為に、ゴミ箱を持って一緒に廊下を歩いていた時のこと。長いゴミ捨て場までの道のりの中で、彼は2、3回ほど、彼の知人とすれ違い、挨拶を交わしていた。部活がいっしょの子らしい。俺は特に元々少ない自分の知り合いにもあわず、ゴミ箱重てえなぁとかボンヤリしていた。自分のクラスに戻る直前に、彼は俺に「○○って知り合い少ないんだね」と勝ち誇ったような顔で言った。
彼にはよく一緒にいる友達がいて、これまた俺に何か言うことが多かった。彼は中学の時に吹奏楽をしていて、俺が高校から始めた楽器をやっていたんだそうな。高校は入ってすぐ体育祭があり、吹奏楽はグラウンドで演奏をする。演奏が終わって、彼は俺に「席から音聞こえなかったよ!チューバならもっと音出るんだから!」といった。同じ楽器という所で、何か言いたくなる気持ちが沸いたのだろうし、自分のほうがお前より上なの、といいたいのかもしれなかったし、おとなしい俺には益々言いたくなるのかもしれなかった。
この二人は良く他人の成績を肴にして喋っていた。中間では1位だったあの子が、どうのこうの・・・俺は、あの人らはよく他人を気にかけているもんだ、と思っていた。そして期末テストが返ってきて、俺は学年1位になった。彼らはそれからピタリと絡むのをやめた。俺は学外の模試を自発的に受けていて、それが度度、学校を通して返ってくる。成績優秀者のもらえるテレフォンカードつきで。学年が変わる頃には、彼らはにへらとわらって○○て頭良いよねー、と言ってくるようになった。俺は少し、嫌な気分になった。権威的というか、分かりやすい結果が出るまでは、なめくさっていた者によくそんなことが出来るな、と。
彼らにそんな価値観を植え付けたのは、誰だ?社交性がある、成績が良い、そんな小さい枠で人をみるような、そして自分より弱い奴、下な奴はいないかとクラスをキョロキョロオドオド見回し、自分と比べて優越感/劣等感(二つは同じもの)を持たないといけない、せこい人間性を、あの若さでなぜ持たなきゃいけないんだろう。どうしてだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20070627203900
私は堂々と言ってるけどな。
あえて堂々と商品名を言ってみて、相手がどんな反応を返してくるかを観察するのが好きという、危ないヘンタイ君だから。
ただ連呼するだけで、すべてを諦めて、ただ傷を舐め合いたいだけの輩が流すネガティブな哀音が私は大嫌いだ。一生不幸自慢でストレス発散でもやってろ!
そしてパキシルという薬を処方してもらって飲んでいる。
今月で3ヶ月目なんだが、大分症状もよくなり、それなりに充実した日々を送っている。
ただ、ひとつだけ気になる副作用があるんだけどね。
その副作用について、この前主治医(女性・20代後半)と相談した。
「あの。。。先生」
「はい、なんでしょう。」
「最近。。。性欲がなくなってしまいまして。」
「まぁ。そうですか。」
だっておかしいだろ。この春成人式を迎えた20歳がエロ本を読んでも反応しないなんて!
「○○さん(俺)、今彼女はいますか?」
「いえ、いません。。。でも・・・」
先生は俺が「彼女がいるかいないかは関係ないだろ!」と言いたげであることを表情から読み取ったようだった。
「でも・・嫌になるんです。性欲のない自分が。」
「そうですか。。でもそれは仕方のないことです。糖尿病の人におやつを我慢してもらうのと同じことです。」
「そうですか。」
「はい。○○さんを元気にしてくれるような彼女が出来るといいですね(微笑み)」
こうして診察は終わった。
性欲と生きる力はコインの裏表の関係だと、性欲のなくなった今では思う。
乳がんの女性が乳房を切除した時に感じるような喪失感を、俺は今感じているのかもしれない。
「彼女いないし別にいいじゃん。困らないでしょ」という人がいるかもしれない。しかし性欲がなくなったことで俺のQOLは著しく下がったことは確かだ。
悩んでいる人の前でそういう一般論を口にしても、悩んでいる人は救われないだろう。
今なら言える。性欲のあるお前らは幸せだ。
その幸せをかみ締めろ。
ポレポレ東中野で ひめゆり を見て以来、沖縄戦に興味がわいてきたのでシネマーアートン下北沢にて見てきた。
この映画でまず驚いたのが、人とお金をふんだんに使っているということ、とにかく、軍人やら民間人やら人がたくさん出てくる映画です。1971年にはこんなに豪華な映画が撮れたんだなぁ。
映画では、沖縄戦での日本軍の負け様を淡々と映画化したものです。爽快感など皆無です。日本人から見た、沖縄戦の状況を知るのに最適な映画だと思います。ひめゆりで証言されていた場面も、この映画中に出てきた。ありのままに映像化した風に感じられました。
問題になることはまずないだろうけど、実際消えてるんだよ
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20070622it05-yol.html
5000万件にあるかもしれない話と結びつける言い方は妥当ではないけどさ
どっちなんだろうね。
私刑を加えているのは
・体制への不信の延長
・体制への従属の行きすぎ
どっちとも取れるのでねぇ。
まぁ、たいがいの場合前者なんだろうけど。
「消えた」って言う表現も妥当ではない。これってマスコミの意図的な煽りという感じする。
記録自体はあるけど、職員の手違いで記載間違いがあるって事だよね。
なので、記録はある。
記録が消えたなら、加入してた証拠がないから支払われない。
反骨精神というのは、やはりささやかにでもあった方がいいのだろう。
状況に流されることなく、己のやりたいことやるべき事を貫く骨っぽさ、それは時には必要なことだとも思う。
だから得てして、そういう反骨心旺盛な人は「御上」のやることが基本的に気に食わない。
まぁ、確かに政府だの官僚だのに押さえ込まれたまま、何もせずに無抵抗な犬になってしまうと言うのも、気分が悪い。
そういう自分になりたい、とは確かに積極的には思わないだろう。普通
だけども、時折思ったりするんだ。
「相手が御上なら人間じゃないんだ!」っていう「差別心」で反体制を貫いてる奴もいるんじゃないか?と。
強者が弱者を差別することは出来る。一般的にはこう言うのを「差別」として取り上げるモノだが
もちろん逆も可能なのだ。精神的には。下手をすると、物理的にも。
「上にある」と思っているモノを、心の中で下に引きずりおろして、感情のままに罵倒する。
それは確かに気持ちいいだろうとは思う。でも、その快楽を得る過程に、
非常に気持ち悪いものも同時に感じる俺は、政府に去勢された無抵抗な犬なんだろうか…?
物事、何事にも節度ってのを持ちたいモノだと思う。
勢い(+アテクシ若いけどこんなことも出来るのよ!といった優越感)で開設して、起きた問題をうまく処理しきれずにモチベーションを下げて、半ば逃げるように放置してきたサイトと同盟が、数年経った今もそのまま残っていました。
○日更新がないと削除という規約の無料サービスを利用していたのでとっくの昔に消されているものと思っていたのですが、ググってすぐに出てきたので少なからず驚きました。
早く消えて無くなって欲しいような、残骸としてでも残り続けて欲しいような。
パスワードを忘れてしまったので自分ではどうしようも出来ないのが残念です。
サイトを見に来てくれていた方、リンクを貼ってくれた方、本に載せてくれた方、そのほか色々で係わってくれた方。
本当にありがとうございます。そしてごめんなさい。