2007-06-13

30年前と比べれば少年犯罪は減っているし子殺しもレイプも減っている

――ということを指摘すると脊髄反射で「貴様少年犯罪を容認するのか」のような意味のことを喚き出す人間の相手をするのは疲れる。バリエーションとして「減っているのは統計の問題で、内実としては増えている」などという人間もいる(こちらの方が「自分は冷静だ」と思い込んでいる分たちが悪い。彼らの特徴は「統計のズレだとすると、内実としてはもっと減っている可能性もある」と指摘すると怒り出すことだ)。

ネットにはこの問題に対して客観的な認識ができている人間が多いように見えるが、そうした理系ブロガー連中は得てして「統計ではこれが正しい。ほら、これがソースだ。リテラシーのないヤツは相手をするだけ無駄」という態度思考も行動も止めてしまう。逆の意味でたちが悪い。

私見では「お互いが理解しあえれば悲しい事件をもっと減らしていくための近道になる」と思うのだが、おかしな考えだろうか。そして、お互いに「悲しい事件は起こらないでほしい」と願っているのだから、理解しあうことはできるはずだ(もちろん、超越的な視点から見れば「犯罪が減った方が良い」と願いさえ自明ではないだろうが、何らかの形で社会生活を営む人間ならば年齢、性別、職業信仰を問わず犯罪を嫌っているものと思う)。手順としては:

  1. 犯罪を憎む」という点でお互いの利害が一致しているということに関して合意を得る
  2. 「現状では減っているのか/増えているのか」に対する正確な認識重要であることに関して合意を得る(減っているのであれば現状の変化を継続、増えているのであれば現状の変化を抑止・修正する必要があるのだから)
  3. いくつかの(良く知られた)資料を参照しながら表題の事実に関して合意を得る

という感じで分かりあえると信じているのだが、試みはいつも失敗している。1、2で合意を得たはずなのに、3に及んだ途端に話し合いが破綻する。どうやら「犯罪が減っていると主張する人間犯罪を容認する悪人である」というナイーブな認識を捨てられないようだ。こうなると議論を続けようとしても「理屈っぽい」と一蹴されてしまうので始末に負えない。それでは、諦めて「まぁ、我々個人が犯罪について議論しても犯罪抑止に貢献できるわけじゃないから」と自分を納得させれば良いのかというとそれも違う。そんな風に諦めたら「犯罪について真剣に考えていない」で、結局「犯罪を容認する悪人」ということにされてしまう。もちろんはっきり悪人だと糾弾されるわけではないが、つまりはそういうことだ。もう、どうすれば良いのか分からない。後半ものすごく私事になったごめん。

  • 貴方の周囲にはリアルにややこしい人がいるような感じだねえ。おつかれさまです。 まあ、とりあえず「犯罪を憎む気持ちは同じ」という諒解を得てから話を進めるのはいいかも。 でも...

  • http://anond.hatelabo.jp/20070613213333 こういう事言うブロガーはてな界隈で特に多いけどさ、被害者にしてみれば 30年前に比べて増えてるかどうかなんて意味ないんじゃないの? 大事なのは一つ...

  • 今日の増田は「全はてな村民入場!!」が制した。誰か作ってくんない?というリクエストに答え、なんと3時間もかけた力作だ。はてな村の罵倒騒ぎがわからない増田さんも、これで少...

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