2007-06-07

小さい頃の思い出

なんか小さい頃、歯医者漫画読んでたら主人公とかヒロインとかが、凶悪な敵のボスに対して、「なんて腐った野郎だ!ファッキン!」とか怒りを覚えるんじゃなく、「かわいそう……」とか言うってシーンがあってさ

そんでボスは「お、俺がかわいそうだと!?ふざけたことを……」みたいにうろたえてさ。で主人公は「俺がお前を救済してやるよ」、ヒロインは「かわいそうな人…(なみだを流す)」、みたいな反応でさ。確か。そんで当然敵はやっつけられちゃうんだけど。

なんかすっごく幼心に違和感を感じていたんだよね。かわいそうって何だそれって。かわいそうとか言うことがかわいそうだろみたいな。すごく嫌な気持ちになった。

そしたら、ネットやり始めたら、そういう事を言い出す人が結構居る事に気付いた。

「なんかあなたってカワイソウだね」。類型に、「そういうのはあなたが損だよ」「コンプレックスでもあるんじゃないかな?」なども同じような違和感を覚えていた。

そういうのを見てる内に幼い頃嫌になった気持ちが分かった。

あの時主人公ボスに怒らず可哀想だと言った。それは、本当に「可哀想に、救ってあげないと」という想いを作者的には描いたつもりだったのかもしれない。村人を助ける時と同じように。でも幼い頃の自分にはそう見えなかった。結局主人公は、まともに「怒り」でボスに対抗したら、叶わないから、(たとえば「お前はどうして罪のない村人を殺すのだ!」的に「怒り」でつっかかっていっても多分あのボスではさらりとかわされてしまうだろうから)「可哀想」と「上から」「見下し」「哀れむ」事によって勝とうとしたんではないかって、当時は感じたのだ。だからいやーな気持ちになったのだ。敢えて怒りを相手に見せない事によって、「お前より格上だぜ、俺は」と見せ付けたいのかって思ったのだ。そんなコスいマネをしないと勝てない主人公が情けなかった。主人公なのに相手を見下して対等と見なさず相手にしないなんて、いくら凶悪な敵だとしてもそんな酷い事をする主人公が嫌だった。それでなんだかいやーな気持ちになってたのだ。本当に可哀想だと思ったんならお前は可哀想などとボス自身に言わず、黙って切ってやったんではないかと思う。どうせ切るんだし。最後にそんな哀れなことを指摘して倒すなんて、ボスの心の傷をほじくり返した上で倒すだなんて、そんな報復をした癖に、主人公とかが優しい人扱いで終わっていくのも嫌だった。

実際に困っている自覚の有る村人に可哀想というのとは違う、可哀想などという自覚はない人にそう言う場合は、本当に可哀想だなんて思っちゃいないのだ。ただ見下して、哀れんで、心の傷をほじくってやろうってだけなのだ。

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