http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/13/news050.html
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# 2007年03月13日 koyhoge comic, culture 基本的には同意だけど、「アメリカ人が作った変な日本の映画」って何を指している? 「硫黄島からの手紙」のことを言っているならあれのどこが変に見えるのか不思議。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)
太平洋戦争の激戦の地であったこの島は、以前は「いおうとう」と呼ばれていたが、戦時中米国内で「いおうじま」と呼ばれ、戦後も長く米国の統治下におかれていたことから、今日では「いおうじま」と呼ばれることが多くなっている。
大塚英志がこのことを念頭においているのかどうか(多分批判してるのは『SAYURI』のことだと思うので)わからないけど、右翼はこの点には怒ってしかるべきなのではないだろうか。戦時中を描いた映画のタイトルをアメリカの映画人が「いおうじま」と読ませ、それが日本国内のメディアでもなんら議論になることなく平然と罷り通ってしまう、というこの状況は。
それから、その点を抜きにしても、あの映画が出来が良くて高い評価を得れば得るほど、私の中の右翼的な部分が、ジョン・ダワーの『敗北を抱き締めて』レベルの国辱だと思ってしまう。戦勝国から「同じ人間同士の間で起きた悲劇だった」みたいに歴史をまとめられるのはどうもね。いや、国内の表現者が不甲斐無いから、戦勝国から声が上がらない限り歴史が忘却されてしまうというのは重々承知しているので、こういうことを言うのは恩を仇で返すような振る舞いなのはわかっているのだけれど……。
……と、前々から感じていたので、これを幸いと益田に書いてみる。出汁に使ったkoyhogeさんにはこの場を借りて謝罪しておきます。ごめんなさい。
世の中の人はそんなに君のこと見ていない。そりゃあ、「へえすごいね」と会えば言うけれど、実際はそんなに関心なんかしていない。作家だろうが芸能人になろうが、歳をとるほどうらやましいなんてさらさら思わなくなる。それは自分の価値観がかたまったり、忙しくて自分で精一杯だったりするからだ。
だから、見栄切るために人生の選択はしないほうがいい。「かっこよく生きる」というのは、人の目を気にして生きることではなく、自分に忠実に生きることだとおもう。ポリシーをもって生きることだ。
現在学部4年生。今春に超一流とは言い難いが日経225にも名を連ねる某メーカーへの入社を控えている。自由応募で勝ち取った内定。翌年の入社を楽しみにしていた。
しかし内定を貰って10ヶ月、会社への不満はここに来て頂点だ。
内定直後の配属先調査の希望は面接のときあれだけ言ったにもかかわらず叶えられず、社員寮の詳細は送られないまま入寮の希望を取り、配属先の連絡は2月の中旬、就業規則を見せないまま誓約書に署名を求めてきた。この次点でうちの人事はダメなんだなあというのは分かっていた。
さらにこの時期に新人研修期間が前もって知らされていた2週間ではなく1年であると連絡を受けた。新人研修を行う場所と自分の配属先の距離は約600km。配属先でやっとアパートの契約を済ました矢先のことであった。どうやら社内の伝達ミスだったらしい。また対象者が途中で変わったため、連絡が遅れたと言うことも話された。突然のことで混乱しつつも何故この時期まで伝達ミスに気付かなかったのか、対象者が何故変わったのかを聞いたが「こちらのミスで・・」「こちらの都合で・・・」と言った感じで具体的な説明は何も無し。あまりに酷い対応、待遇。想像は付いてはいたが大企業の情報の閉鎖性みたいなものを見せられて唖然とした。
そんなこんなで、自分の会社への気持ちは完全に萎えてしまった。こんな無責任な人事が自分の命運を握っているかと思うと到底この会社に自分の将来を預ける気にはなれない。正直言って就活をやりなおしたい。しかし現実はそれを許さない。何も出来ない。このまま、流されるままこの会社で貴重な20代を過ごすのか、そう考えるとなんとも言えない喪失感に襲われるのでありました。
現実に抗う勇気が欲しい。現状を変える力が欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20070313232225
>鉄道会社って、列車の慢性的な不足っていう根本的な原因をいつでも利用者のマナー問題にすり替えるよね
「列車の慢性的な不足っていう根本的な原因」説って初耳。東京圏だけで判断するなら、それはないと思う。通勤時間帯のダイヤはこれ以上列車本数を増発できないほど過密にしている。これ以上過密にしたら、乗客の安全性を犠牲にせざるを得ない。
あのウキウキオッケーよの時代だけがおざーじゃないと声を大にして言いたい。
ということで亡命後の2作どぞー(既に聴いてたらごめんさい)↓
Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学
追記。そう言えば数年前にJAY-Zと一緒に来日(?)したのが目撃されてなかったっけ
友人が狂ったらしい。子供が生まれてすぐ旦那に先立たれ、そしてこれ以上ないくらい可愛がってた娘も、先日亡くなったとのことなので、そうなる気持ちもわからなくはないが。彼女の娘の葬式には用事があり行けなかったし、様子も心配なので、見舞いに行くことにした。
精神病院というと、檻がついてるものだと思っていたが、その認識は古かったようで、檻などなく、 また、病院内も普通の病院と変わらないようだった。この病院には軽い人が多いのか、そもそも私のイメージ自体が間違っているのかはわからなかったが。エレベーターで3階に上がり、廊下の一番奥にある、彼女が入院している個室の前に立つ。最後に会ったのは彼女の子供が生まれてすぐの頃だったから、何年ぶりだろう。最後に会った彼女は、元来控えめな性格ではあったが、とても幸せそうに笑っていた。その印象しかない。そんな彼女は今どうなっているのだろうか。深呼吸をして、重苦しい気持ちを押しのけて、少し強めにノックをした。
「はーい、どうぞー。」明るい声で招き入れられた私は彼女を見て驚いた。彼女はあの時の笑顔のままだったのだ。とても幸せそうな、満面の笑みで迎え入れられた私が呆然としていると、彼女は私のことを憶えていたようで、「きーちゃん!久しぶりー!元気にしてた?」と問いかけてきた。私はなんとか気を取り直し、挨拶を交わすと、そのまま思い出話へと突入した。思い出話を嬉々として話す彼女を見ながら私は戸惑っていた。私のことを憶えているし、日常会話もできる。それにどこも狂った様子は見受けられない。彼女は本当に狂っているのだろうか。いや、しかし、彼女が狂っていないとしたら、あの笑顔はおかしいように思える。中学生の頃、飼っていた犬が死んだとき、1ヶ月も塞ぎ込んでいた彼女が、夫もいない中、娘の死を乗り越えられるだろうか。わずか3週間で、このような笑顔ができる程に。疑問に思った私は、おそるおそるそのことについて切り出した。
「あの…遅れちゃったけど…この度はご愁傷様でした…」
「え?何それ?」
「え?だって…娘さんが…?」
「娘?きーちゃん何言ってんの?結婚もまだなのに子供ができるわけないじゃない。」
頭を下げている私をよそに、彼女はおかしそうに笑っている。
「え…あ、うん…」
未だ事態が飲み込めずおろおろしている私を見て彼女は更に笑う。
「それに私たちまだ19だよ?結婚にはまだ早いでしょ。」
―― あ、そうか。そういうことか。そういえば、思い出話ばかりをしていて気がつかなかったが、彼女は昔の話ばかりをしていた。てっきり、今の話は辛いから思い出したくないのかと思っていたけど、思い出したくないのではなく、純粋に思い出せなかったのだ。だって、彼女は、私と同級生だった彼女は、私と同じ26歳ではなく、19歳に戻ってしまったんだろうから。
その後は、また思い出話をして帰った。病室を出るときに彼女の母親と会い、やはり彼女が19歳の頃に戻った、戻ったと思いこんでいることを知らされた。辛いことがなかった時代に、辛いことが起こる前に戻ることで、耐えきれなかった辛いことから逃れたんだろう。愛する夫と、子供が死んでしまった今という時から。歩き慣れた帰り道を行きながら彼女のことを思い出す。私のことも憶えていたし、日常会話にも何の問題もなかった彼女。しかし、本当の彼女とは会話できている気がまるでしなかった。今という時にいない、今という時を生きていない彼女との会話はどこか虚ろで、まるで幻と話しているようだった。でも、考えてみれば本当の誰かと話している、生きているだなんて考え自体がそもそも間違っているのかもしれない。誰しも本当の心になんて触れられやしないんだから。そんなことを考えていると家に着いた。
「おかーさん!」
娘の愛華が飛びついてくる。
「おかえりー!」
「ただいま、愛華。」
愛華は私を見上げて首を傾げる。
「どうしたの?」
「おかーさんげんきない?」
娘に心配させまいと、そんなことないよと笑顔を作ってみたが、効果はなかった。
「おかーさん。ちょっとしゃがんで。」
「え?」
「いいから、しゃがんでー。」
言われた通りにしゃがみ、愛華と同じ目の高さになる。きらきらと輝きながらも心配の色を浮かべている目を見ていると、
「めもつぶってー!」
と言われたので、わかったわよ、と目をつぶる。何をするつもりだろうと考えていると、頭を撫でられる。
「げんきないのないの飛んでいけー。」
私がぽかんとしていると、
「げんきでた?」
と笑顔で聞いてきたので、うん…元気でたよ、と愛華を思い切り抱きしめた。確かに娘を失ったらとても辛いだろう。でも、私は昔には戻りたくない。たとえ辛い思いがなくなるとしても、娘と生きているというのが本当は幻だったとしても、戻りたくはない。娘がいなくなってしまったとしても、その未来をしっかり生きたいと思う。少なくとも私にはこの幻は本当なんだから。だから、その娘と本当に生きている今の先にある未来を。
いたい、いたいよー、おかーさん、と言われて抱きしめる力が入りすぎていたのを知り、ごめんね、と謝り手を離す。じゃあ、一緒にご飯を作ろうかと話していると、夫が帰ってきた。浮かない顔をしていたので、娘と顔を見合わせて、二人で笑った。
誰かが元気のないときは、誰かに元気ないのを飛ばして貰おう。そして、誰かがいなくなってしまっても、その人といた今のために、挫けずその時を生きていこう。そうやって私は愛する家族と生きていこう。ずっと一緒に。ずっと、ずっと。
鉄道会社って、列車の慢性的な不足っていう根本的な原因をいつでも利用者のマナー問題にすり替えるよね。今マナー違反で最もプッシュされてる電車内でのケータイの利用、この流行が終わったら次は何を使ってバカの不満をそらすんだろうか。
なんかハッカだけ入ってるスペシャル缶とかあった気がするよ!
サクマドロップスとサクマ式ドロップス、どっちがどっちだかいまだにわかんなくなる。
チョコ味が入ってるのはどっちだっけ?
式と文が混在する例としてでっち挙げたんだけど、 パワポではともかく正式な論文では体言止めはしないわな (パワポではフォントの関係で「、。」を使うけど、これは個人の自由)。 例を挙げるとしたらこういう感じかな。
後者だと数式部分と文章部分で読点の種類が異なるので気持ち悪い。 前者だと半角全角は違うけど、印刷すると気にならない(フォント次第)。
せっかく回答してあげようと思うと、拒否ユーザーに入れられてる。
丁寧な説明を考えていると、拒否ユーザーに入っていることを思い出す。
過去の質問履歴を見てもその人には回答していない。
あ、またあれか、そう思いながら私は回答の着いていないその人の質問を見てる。
年収400万円ぐらいの連中の、800万円くらいへの嫉妬が笑える。見ているポイントが、会社の待遇とか仕事の時間ばかり。これじゃあダメだよ、半端はダメだ、大西さん。
こういう思考でいるうちは、たとえ800万を手にしても使い道といえばせいぜい昼飯のハンバーガーがダブルバーガーに変わって、ちょっと贅沢なビール飲んで、あとはタンス預金行き。
金を得たあとのビジョンないもの。そんな所には金は回ってきませんて。
だいたい、給与で貰おうとしている段階で大概の場合誤りなわけで、人の金を元手にしてデカイ仕事をやらかして収入を得て、結果的に年収800万に乗せるやり方が適当。
もっというと、自分に入る収入なんて税金かかるし面倒なだけ。
収入よりも、何かを人にやらせることができる権力の方が重要なわけで、それは下働きでいるうちには手に入っても見えてこないから通り過ぎていくわけ。
文系(心理学)ですが論文の句読点は全角の"."および",”に決まってましたよ。
ふつうの文章(メールとか)までそうする人少なくないけれど、これを使うと読んだときの印象が硬くなるというか、どの人の文章も同じ雰囲気になる気がします。