2007-02-26

学がないから主張が無くなり、イデオロギーや感情の話をしだす

はてな匿名ダイアリー「返信します」に関連して。(http://anond.hatelabo.jp/20070225013332

私は、上に掲げた文章の作成者は経験が豊富で博識であると信じる。

 「もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。」というような、議論の中で、レトリックに隠しながらの相手を慮った譲歩を行うことによって議論を紛糾させないように配慮している。

 他にも、「ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。」という表現や、「私見ですが…」「…は二つあります。…の双方です」「このうち、whatは…。一方で、howの方は…。しかし、…。そして…、…するためには、…がどうしても必要です。」「私には、…。確かに、…かもしれません。…からです。しかし、…と思います。」といった論理接続詞の丁寧な付加、論理事実と自分の思想との書き分けには、よい意味でのアカデミックな知性を感じる。

 このような文体の癖は、中立的に物を語ろうとしている意識を感じさせる。もしくは、もう体にしみついて無意識のうちに出ているものかもしれない。自分の主張、相手の主張、どちらの根拠にも触れることで議論に出てくる論理をきちんとなぞっていく。相手の主張の根拠を無視して自分の論理を展開することはない。

 彼はこのあと持論を展開しているが、その中でも「自分の思い込み」を「客観的な事実」であると誤読させないような言葉遣いを心がけているように見える。様々な立場論理を検証しているからこそ、「単純な話ではない」ということができる。

 ただ、彼の主張(…だと思う、だとか、…ではないでしょうか、などの表現が用いられている部分)と、トラックバックによる反論群を見比べてみると、、、以下は印象論や私見にしかならないのでここに書くことは避けておく。

http://anond.hatelabo.jp/20070225170702という文章も発見した。

 「持つべきプライドと不合理なこだわりを区別すべき、というようなことが主題のつもりです。」なるほど、主張の根幹がここにあったわけか。どうりで。…以下は、ここに書くことは避けよう。わかりやすい言い切りが一概に良いものだとは言い切れないと、私は思うので。

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