TVの受信がどうかしらんけど、モデムは債権化してどこかが金貸してくれるその担保になっているはずだから、返してもらえないと色々会社としても大変なんでしょうね。やすかろう、ですから。
就職難世代!もったいない!こんな見るからに優秀そうな人間をもっと、科学ジャーナリストやインタープリターとして教育分野に起用する政策をとったら良いのに。あと、学生時代もそういう機会を与えて、もう少しプライドのプの字をやわらかくできたらよかったのに。
正直天文分野やら自然観察の分野なんかだと、アマチュアの裾野が広いし、かなりCCDカメラやらエコーやらGISやらを駆使した本格的観測もできるので、公務員勤務で空いた時間とか夜間に自分で観測してる人やら、プログラム書いちゃってシミュレーションしてる人多いから、そんなに研究に未練があるなら仕事は稼ぎと割り切って、空き時間に好きなことやったらいいし、役場はそういう人にとってはかなりいい環境だと思うのですが・・・
http://anond.hatelabo.jp/20070223172044
自分は東大ではないけど、近藤さんの出身大学で院生をしている。
ストレートで上がったし留年もしてないし、たぶんそこそこ良くできるし、
頭の回転も悪くないほうだと思う。
じゃあそれで天狗になれるかっつーと、そんなことはまったくない。上には上がいる。限りなく。
ひたすら青天井である。
驚くほどの本数の論文を出して、外国の研究所にいってしまった。
院でやっていくのに大事なのは、ぺしゃんこにならないこと、である。
研究発表でどんなに叩かれても、同期がどんなにスピード出世しても
ぜったいにへこんで立ち止まったりしないということである。
ぺしゃんこにならずに、自分の研究に向き合える人が、残るんだと思う。
昨年やっとそれに気付いて、こつこつやったら今年それなりの成果が出た。
地頭の良さで濃淡は出るけど、そこは他(分野とかテーマとか教育のうまさとか実験の質とか)で
カバーするしかないと思う、正直。
あと、元記事の書き手さんは、身の処し方が、きちんとしてると思う。
ちゃんと役場で働けているんじゃないか。
定職につくのって大事なことだぜ。
たしかCO2増加すると森林は増加する予測のはず。
衛星画像でも実際増加は捉えられているけど、衛星の性能の変化によるアーティファクトの可能性も否定できないためまだ検証については議論は続いているけど、理論的にはそれで合意していたような?
同時に温暖化による乾燥と森林火災も言われているけど、どっちの割合がでかいのかはわからん。
IPCCのこないだ出たばっかりの報告書でも読んでみてくれ。
昔,まだ学生時代
yahooのチャットで「○曜日の部屋」というチャットルームを作って
日々チャットをしていたことをなぜか思い出した.
あの時出会った人たちは今何をしているのだろうと思う今日この頃...
酷い酷いとネタにしつつも、周りでは理解のある方が多かったので、正直、ここまで酷い状況にあるとは思わなかった。
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2007/01/post_10.html
匿名性を振りかざして、自らのストーリーに基づいて、売れる記事を書く。
「ソース出せ」と言えばノイズが混じりながらも議論が成立する、稀に「本人光臨」も起こりうる2chのほうがよっぽどマシ。
かつては論文並に信頼されていた姿が(これだってどのくらい本当かしらんが)、経営が窮地に立たされたことで、ここまで立派な釣り師に変貌するとはな。広告も昔と違って選り好みしなくなったみたいだし(実際に朝日とか経営陣完全に入れ替わったし)。もう老害全国紙なんかなくして、日経と通信社、地方紙だけでいいんじゃまいか?
追記:そもそも前提に間違いがあったようで、全国紙とよばれているものも、全国規模であるだけで体制は地方紙と変わらないとのこと。うーん、そういう認識ならいっか。
科学的に、ってわけじゃないけど、気圧変化に敏感な体質ってのはあるよ。たとえば自分は喘息がひどかったころ、低気圧が近づくたびに軽い発作を起こしてたから。それで天気予報ができていた。あんまりうれしくない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070222225903
同じ思いの人がいた。
2話と5話が特に良し。
止め絵の構図と間の妙技。
もっと多くに知って欲しい。
大丈夫大丈夫。
もう人物の名前と性格さえつかめているのなら、
お祭りの日まで全部文章飛ばしても話がわからなくなることは無いよ。
というかきっちり読んでいても話わからないだろうし。
もうお祭りの日まで一気に飛ばすことを推奨するよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070223224415
横槍ですが、このページの内容が参考になりませんかね。
http://www.cla.kobe-u.ac.jp/kusccs/essay/2003koike.htm
それではなぜ、山火事は同時多発的に発生し、かつ大規模化したのだろうか。カリフォルニアの気候に照らしていえば、毎年山火事の危険があることは、先に述べた通りである。だが今年はその熱波・乾燥の程度が例年を越えていたのだ。例年にない熱波・乾燥といって真っ先に思い浮かぶのは、ヨーロッパであろう。 2003年の欧州はかつてない猛暑に襲われた。パリでは観測史上最高の暑さに迫る日々が、何日も続いた。パリの夏は本来過ごしやすいもので、多くの家庭や事務所はもちろんのこと、カフェですらクーラー付のところは稀だったという。一方イタリアでは、山火事が多発した。殆どが放火によるものだったが、猛暑と旱魃の影響で被害は拡大した。件数としても多く、7月中に6,000件、これは昨年の倍近くに及ぶという。またポルトガルでも山火事は猛威をふるい、16 万ヘクタールが焼失し15人が犠牲になった。
ここでヨーロッパの熱波の原因を「地球温暖化現象」に求めるのは、早とちりだと思われるかもしれない。その直接の原因がヨーロッパ上空を流れる「ジェット気流」であることは、私も認めよう。しかし、私の認識が正しければ、ジェット気流はそれ自体が熱い・寒いという訳ではなく、あくまで偏西風の影響を受けた大気の流動/停滞形式である。そのメカニズムの中で、大気をはさんで閉じ込めてしまうこともあるのである。ヨーロッパの場合、そのはさまれた内部の大気が「熱い」ことが問題なのだ。つまり、ジェット気流による熱波というのは見かけ上の問題であって、根本的な原因は欧州の気温自体が上昇していることにあるのである。よって、ヨーロッパを「亜熱帯」に仕立て上げた張本人は「温暖化現象」である、といって差し支えないと思う。
米デューク大のウィリアム・シュレンジャー教授は「近年の温暖化傾向で地上からの水分の蒸発量が増え、雨が少ない地域の森林は乾燥して山火事が起こりやすい状況が続いている」と指摘している。
同じように、米ハーバード大学のポール・エプシュタイン博士も「現在の温暖化傾向が続けば山火事は世界各地で増加。その結果、大量の二酸化炭素が大気中に放出され、温暖化をさらに悪化させることになる」と警告している。
ここでエプシュタイン博士の考えを整理してみよう。彼の頭の中には、温暖化→乾燥化→山火事→二酸化炭素放出(→温暖化へフィードバック)、という図式が存在すると思われる。これは特殊な考え方ではなく、むしろ周知の「事実」として扱われている類のものである。「二酸化炭素濃度の増大が温暖化を引き起こす」といった想定は、疑いのない真実として人びとの意識に刷り込まれているのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070223172044
下手に地方国立から東大?院に行くと酷い目に遭う人もいるみたいだけど、東大に学部から行くのはもったいないと思う。理系の場合は。
東大生特有の閉塞感に学部から浸かるなんて、恐ろしくて出来ない。
一番手堅いのは、早慶上智クラスに手堅く入って学生生活を満喫して、手堅く内定をもらうと。もうやることはやりきった状態で、東大の院試を受ければ適当に受かると思う。これが一番、無難だと思う。
A「○○市はほんとひどいよ。タチ悪いよ、人が。前なんか、雨の日に信号渡ってたら、自転車で傘さしてる女子高生が突っ込んできて、ぶつかって倒れてんの。前とか全然見てないんだよ。で、勝手にぶつかって倒れてんのに、そいつ、にらむんだよね、俺のこと。」
B「…それなんてエロゲですか?」
今さらながら「ひぐらしがなく頃に」の体験版をダウンロードしたので、少しだけプレイした。まだ事件が起きていない段階のようだが、延々と続く日常コント部分を読むのに疲れてきたので、次第に飛ばし飛ばしになってきた。飛ばすと今後の展開を読むのに差し障りが出てくるだろうかと思うと少し不安だ。
そもそもここで挫折するような人間は、「ひぐらし」を楽しむ柄ではないのかもなあと思ったりして。感想はプレイし終わるまで何とも言えないが、現在ひとつのハードルに差し掛かっている事は確かである。がんばれ自分。がんばらなくてもいいけど。
善意に解釈すれば「現状の運動神経が鈍い・音痴というアマチュアのあなたの評価はプロである私の目からは不正確だ。実力は誤差の範囲内だから足切りをする理由には成らないよ」って事だろうけど。
善意に解釈すれば、って。本心はどっちだよ。何がわかってんだよ。
それとも、前半の解釈は善意じゃないのか?なんで、相手の主張を善意で解釈してあげないの?
これなんてドキンちゃん?
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/926024.html
たとえばこの人が仕事を選り好みしてたわけじゃなくって、ここに出てくるような人だったなら…
http://d.hatena.ne.jp/anhedonia/20070222/p3
自分では気が付いていないけど実は発達障害を抱えていたりするとかして、
どこへ行ってもうまく行かないようなことがあったりしたのかもしれないのかなとか。
仮に自殺した彼がそんな人だったとしたら、今のこの国じゃかけてあげる言葉が見つからない。
終身雇用とか年功序列とか、そういうものを捨て去ってきたということは、こういう人を
会社で抱えられなくなったということでもある。
そして、それはある意味、生活保護を企業が肩代わりしていたようなものであったということ。
「ダメ社員」と周りに揶揄されながらそういう人を企業が抱えてたというのはそういうことだったんだろう。
だとすると、ホントはそれに代わるシステムを何か作らなければならないのだろうが、果たしてこの国に
そんな余裕はあるのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070223172044
いまもプライドを捨て切れてないから、自分はまた輝けるんじゃないかと思うんだよね。
失ったプライドを取り戻したいんだよね。
でも、学部時代と同じプライドをとり戻そうったって無理だよ。
ある日私は気が違った。世界の方が変わったとのだと思いたいが、常識的に考えると、やはり私の気が違ったのだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。私の気が違ったのではなく、皆の気がすでに違っていたのではないだろうか。私は今でもそのように思っている。
私の家にかわいい女の子がやってきた。名前はみい。照れ屋で少しはにかんだ笑顔がとてもかわいらしかった。彼女は人見知りをしたが、私には特別懐いてくれたので、私と彼女はよく遊んだ。場所はもっぱら近所の草原だった。なぜかうちにはハンバーガーがたくさんあった。父が何やらツテがあるらしく、私も大好きだったので、それをお昼ご飯に持って行き、ピクニック気分で毎日のようにでかけた。そこで私と彼女は二人で寝転がりながら、いろいろなことを話した。最近あったこと、そしてこれから先の将来のことを。私はかわいいお嫁さんになりたいな、と照れながら言った彼女の横顔が今でも忘れらない。
しかし、そんな幸せな日々は終わりを告げた。朝起きて、彼女に会いにいくと、そこに彼女はいなかった。家の中も、近所中も、そして彼女が大好きだったあの場所も探したけれど、彼女はどこにもいなかった。私は両親に彼女の居場所を聞くと、彼女は売られたと言う。今朝早くに、車に乗せられ。私は泣いた。そして怒った。どうして彼女を売ったんだ!?と。両親は仕方がないだろ、と私をなだめた。しかし、私はますます怒り、そして焦った。彼女の身にもしものことがあったら!?両親につかみかかり、彼女がいる場所に連れて行け!早く!一刻も早く!両親は諦めたのか、悲しそうな顔をして承諾した。お前も家を継ぐんなら早く知っておいた方がいいからな、と。
車で1時間30分程の道のりだっただろうか。しかし、彼女のことが心配で気が気でなかった私には何時間にも感じられた。その場所につくと、私はまたもや叫んでいた。彼女はどこだと。両親が大きな白い建物を指さすと、私は脇目も振らずに駆けだした。彼女は!彼女は無事なのか!?それだけしか頭になかった。両親が電話で話をつけていたらしくその建物から出てきた白衣の人は私を見つけると案内してくれた。彼女のことを想うと殴り殺してしまいそうだったが、彼女がいる場所がわからないので、それまでは素直に従うしかない。途中、白衣を着せられ、3分程歩いただろうか。工場の内部の広い空間につくと、ほら、あそこらへんですよ。白衣の人が言ったので、私は指さされた方を見ると、彼女がいた。いや、彼女とおぼしきものがいた。無数に。数え切れないくらいに。首を切られて、解体されて、内蔵を取り除かれ、肉塊となったものが逆さにされて、数え切れないくらい吊されていた。あまりの状況に、呆然とした私は立ちつくした。肉塊と成り果てた数え切れないくらいの死体を眺めながら。
しばらくして私は彼女を捜した。肉塊を丹念に見ていきながら。しかし、やはりそれは肉塊なので、彼女かどうかはわからなかった。呆としながら歩いていると、切られた首が山積みになっている場所を見つけた。見つけた私はそこに駆け寄り、無念そうな顔、恨みがこもった顔、痛そうな顔、いろいろな顔をした血まみれの首を必死に掻き分けた。彼女の首がありませんように、彼女が肉塊に成り果ててませんようにと祈りながら。途中、両親や白衣の人が止めに入ったけど殴り倒した。そんな場合じゃなかったから。一刻も早く。一刻も早く彼女が無事であることを確かめなければならなかったから。そして、何十の首を掻き分けた頃。それは見つかった。悲しそうな、かわいいお嫁さんになりたかった彼女の、悲しそうな顔が。
その後、私は取り押さえられ病院に連れて行かれた。そして気が違っていると診断された私は入院することになった。入院中は悲しみで何もする気が起こらなかった。両親が会いに来てくれてもほとんど話さなかった。彼女のことを思うと、そして彼女と同じように処分されていた彼女たちのことを思うと、とても話せる気分じゃなかったから。しかし、少しして私は気づく。どうして彼女は、彼女たちは、首を切られ、腑を取り除かれ、並べられていたのだろうか。あんなことをされていたのだろうか。翌日、両親が来たときに私は2週間ぶりに言葉を発した。両親は驚き、そしてとても喜んだが、私の問いを聞くと、また沈んだ顔をして、静かに答えた。そして私はようやくわかった。彼女たちが何だったのか。
その後、以前のように振る舞った私は2週間で退院することになった。そして帰りに確かめにいった。彼女たちが行き着く先に。
明るい店内。賑やかな雰囲気。にこやかな接客に、綺麗な包装。その包装を丁寧に開けると、私は止まった。包装の中から彼女が。彼女たちが。大好きだったそれが、やっぱり現れたから、現れてしまったから。病院で何度もシミュレーションしたはずなのに私は止まった。止まった体が動かなかった。そして彼女との思い出が甦る。大好きだった、彼女との思い出が。何分経っただろうか。彼女との思い出を全て思い出した私は、静かに息を吸い、心を決めた。心を決めた私はかぶりつく。彼女に、彼女たちだったものに。大好きだったそれに。泣きながらかぶりつく。泣きながら、吐き気を抑えながら、拒絶する体を押さえ込みながら、ぐしゃぐしゃの顔でかぶりつく。そして数分後。私は食べ終えた。彼女を。彼女たちを。大好きだったハンバーガーを。
やはり私は気が違っているようだ。あの出来事以来、彼女のことを思い出し、全てがそのように見えてしまう。だから、スーパーなんて地獄だ。首を切られたり、バラバラにされたり、あるいは生きたまま(といっても瀕死に近い状態だが)の彼女たちが店中に陳列されているように見えるのだから。しかし、だからといって、ベジタリアンなどを薦めるつもりはない。幸か不幸か、私にも野菜はそのようには見えないが、それは他の人には見えないような光景が私には見えているように、他の人には野菜が私と同じように見えているのかもしれない。なぜなら、それらは皆、全て生き物だからだ。
だから、私が、気が違ってる私が言いたいのはそうではない。確かに私は気が違っているが、その一点、魚や肉が人間に見えるという一点において、気が違ってるだけだと思っている。だから、それ以外の点では、特にある一点ではむしろ私の方が正しくて、皆の方が気が違っていると私は思っている。それは、私がこの話をすると、バカじゃん?あれは肉や魚じゃん?と言って生き物であると認識しない人間だ。昔の私のように、それは肉や魚、ハンバーガーという名の食べ物であって、何で出来ているのか、何の命だったものなのか、それを生き物だったと、考えない人間だ。自分は生き物の命を奪うことで生きながらえてるにもかかわらず、食べるために生き物を殺す行為を忌避し(例えば生きてる魚を捌くのを嫌ったり)、そして素知らぬ顔で食べ物を貪る人間だ。
これで思い出した。
というか、もう返却先すらわかんねぇ。
YBBに吸収されたからYBBに返せばいんだろうけど、
いまさらこんなん送ってもYBBも困るだろうなぁ。
同じ様な表情ばっかりしてると顔つき自体がそういう感じに変形していくらしいすよ