2007-02-05

全ての人間が単一の価値観を持つことはありえないんだけど

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070204/mng_____sya_____009.shtml

この記事を読んで非常に暗澹たる気持ちになった。

振り込め詐欺を行った人間に対する怒りゆえにではない。自殺を図った母親の思慮の浅さ軽率さ、あるいはそう取れるような報道の仕方に対する怒りゆえにである。

振り込め詐欺にひっかかり知的障害のある息子をホームに入所させるための金を失い、自責から自殺を図った母親。こんなにひどい話はない。だが、もしそのままこの母親が死んでいた場合、息子をホームに入れることができぬまま介護のしわよせは職を持った父親あるいは高校生の長女に向かう。「こんなにひどい話はない」というのは残された家族側の台詞となる。せめてこの母親生命保険がかかっており、息子をホームに入れるためのものとしてその保険金を充当するようにという企図があって自殺を図ったのであったなら。せめてそうあってほしい、と思った。もし仮にそういう事実があるのならきちんとそこまで報道してほしい。

振り込め詐欺は当然のように犯罪である。だが、犯罪被害者だからといって「それでもこれから先を生きていくためにどうするか」を考えなくてよいというものではない。強く自責してさえいれば加害者が捕まり、加害者を責めてさえいれば明日の飯が保証されるのならば好きなだけそうすればいいが、現実はそうはなってくれない。誰が悪いかにかかわらず起きてしまったことに対して思考停止している余裕などないのだ。勿論常に前に進み続けられるわけではないし、絶望する瞬間もあるだろう。この母親絶望も悲嘆も想像するに余りあるものであり、それらを否定するつもりはない。この母親、この家族にとって支えとなるような人間関係、あるいは相談機関があってほしい(実際どうであったかは分からないことだが)。しかしミスをしてもしなくても明日は来るし我々は明日の飯を確保しなくてはならないし、だからこそ一度のミスで歩みを止めてしまうことが社会的に肯定されてしまっていてはいけないと思うのだ。自分が歩みを止めることで苦しむ人が身近に居るのなら尚更。これを読んで素直に「ああひどい、かわいそうに」なんて思い、その時点で思考停止する人間が増えていくのはいやだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん