http://anond.hatelabo.jp/20070130213428は暗黒の人が戸惑っているようで可愛らしく見えるけど、http://anond.hatelabo.jp/20070124125357の暗黒の人は威嚇しているように見える。
ほぼ同じ文字列で構成されているのにね。
たった三年くらいだけど、ブログをやっていて思った。
日々更新し、自分の様々な興味や思考がつまったブログは、単なる嗜好品にとどまらず、自分の体の一部と化している。それなしでは「自分」が形成し得ないほどに。依存に近いような気もするけれど、“ブログ”という対象に依存しているというよりむしろ、自分の一部だという感覚のほうが強いのは、それだけ自分の中で大きなファクターになっているという事だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070130222420
フツーに生活しながら、自分を囲む世界を
仕事をやすらぎを
豊かにしていくための
当たり前の言葉
当たり前の情報
当たり前の発信
当たり前の受信
当たり前の○○?
どこが当たり前なのだ。どれ一つとっても容易なものではない。それらは一つ一つ、当たり前というよりもむしろ希有な、あるいは一時的な、幸運なものと言わざるを得ない。たまたま一時為し得たとしても、放っておけば忽ち失われるような、成立を維持することが難しいものだという事にもっと想像力を働かせることを私は勧める。あなたがまず為すべきは、あなたが当たり前だと思っている諸々がいかに為し難いものなのか・維持することが大変なものなのかを自覚するところからではないだろうか。もし、「当たり前の○○」を現在のあなたが所持しているんだとしたら、有り難いものだと知ったうえで、大事にしたほうが良いと思う。
当たり前、と思いがちな前提の多くは、しばしば当たり前というよりは偶々成立している一過性のものだったり、極めて多くの犠牲や努力のうえで成立しているものだったりする。そういった自覚に立ったうえで、存立困難な色々を自分の身の回りのレベルから少しでも維持・向上させようと頑張るしか、無いのではないだろうか。そのためにも、まずは想像力だ。当たり前だと思っている諸々の背景に隠された、ホメオスタシスの努力の痕跡や、相互誤解可能性に、光を当ててほしい。
裏の武器商人
注文通り作ったぜ。
しかし、チョコレートの弾なんて何に使うんだ?
おっとこれは聞かないルールだったな
お願い、G! 彼のハートを撃ち抜いて!
お金ならいくらでも出すわ!
……わかった。やってみよう。
と言うのが思い浮かびましたが、何かが違うような気がしました。
(ネタにしても、2月14日には早すぎた)
なこといって、テレビなんてあんなもんだと言う人。
いや、それはそもそも、まんま信じちゃう奴らがいるからいかんと言う人。
だから疑えと言う人。
疑ってばっかで何を信じたらいいかわからんと言う人。
わからなくなって何でもイロをつけて悪口ばかり言う人。
イロづける安易について(一見)冷ややかな批判を言う人
暴露で世の中よくなると言う人。
それの嫉妬をルル言う人。
それで、この世の中をどーするんだ?
フツーに生活しながら、自分を囲む世界を
仕事をやすらぎを
豊かにしていくための
当たり前の言葉
当たり前の情報
当たり前の発信
当たり前の受信
ねぇ、どうしたら、できると思う?
それぞれの漫画が世に出た年代を考慮に入れると、もっとよくなると思うよ。
過去に私が書いた文書によって私に対して憎悪や嫌悪、不快感といった感情を抱いた人がいたとして、それを解消する手だてが死以外存在しないだろうと感じているから私はアクションを起こしていない。
死とか極論持ち出して目先くらましてるのか
私「だけ」が一方的に黙らなければならない理由があるのなら示して欲しい。
「一方的に黙る」って、どこの誰が? 黙ってたことあったっけ。
d:id:ululunが一方的にいろんな人を弄っていたのは見た事有るな。
不快感を示したら的確な反論をされたのも見た。
コーヒーが飲めないのでドトールとかエクセルシオールとか行くといつも紅茶かココアを飲んでいたのだが、ある日初めてスタバに行ったときココアを注文してそのまずさに閉口したことがありました。それ以来キャラメルマキアートだなぁ、ずっと。
魔法使いサリーのよし子ちゃんやひみつのアッコちゃんのモコちゃんが妙に貧乏くさいのは視聴者の女の子にお話の中の居場所を作ってあげるためじゃないか、と思った。
主人公は方やお姫様で方やお父さんが船長さん(だよね?)な良家の育ちという華やかな設定で、憧れの存在ではあるけど自分とあまりに境遇が違うため、ここに同一感を求めるのはなかなか難しいものがある。
で、登場するのが友達のよし子ちゃんやモコちゃん。自分とあまり変わらない境遇の女の子が憧れの存在とお付き合いしてくれるのだ。しかも、その境遇の差をあまり意識させずに。視聴者の女の子はこのポジションからお話の中に入っていけばいいのだ。
で、これをかなり意識的に取り入れたのがカードキャプターさくらの知世ちゃんなんじゃないかと思う。
主人公のさくらちゃんの家はお父さんが大学教授、家は割と立派そうな一戸建てではあるが、一億総中流な世の中であまりそういう事を意識する女の子は居ないだろう。何もしなくても主人公と同化できる。
じゃあ、知世ちゃんはなぜ存在するか。それは「大きいお友達」の居場所を作る為である。作中、オタ趣味全開で主人公に迫る知世ちゃんのことを「ちょっと変」と評しはするけど、基本的にいつも良い関係。サリーちゃんやアッコちゃんでは良くあった主人公とケンカするエピソードも無く、拒絶した事は作中一度も無い。この異様なまでの慎重さは、かなり意識的にやっているといわざるをえない。
会社を辞めようと思ってる。今の会社は4社目で3年勤めた。周りはみんないい人だし、恵まれてる。でもなにか物足りない。「あ、大体先が見えた」と思うと退屈になってしまい、もっと自分を試したいと思ってしまう。「一度会社を辞めると辞め癖がつく」というが、まさにそんな感じである。
今心配してるのは、この先結婚したときにちょっとしたことで我慢が足りなくなって離婚したくなってしまうんではないか、ということ。それがちょっと怖い…。
http://www.kanzaki.com/docs/html/htminfo11.html
細かく言うと、“段落を示すp”“本文を表すbody”などの定義によって文書の構成単位を(抽象的に)示すときは「要素タイプ」(element type = JIS用語では要素型)と呼ばれ、それが実際にHTML文書中に出現しているものを「要素」と呼びます。例えていえば、要素タイプはクッキーの「抜き型」、要素は焼き上がったそれぞれのクッキーみたいなものです。ですから、要素タイプp(抜き型)はそれぞれのDTDにつき一つしかありませんが、実際の文書に出現するp要素(クッキー)は段落の数だけ存在します。
今の社会、本能を呼び覚ます肉体的な危機感が少なくて、精神的なクライシスにばっかり遭遇するので、萎える萎える。肉体的危機感がほとんどないので、小さい萎えを「そんなこと!」と笑い飛ばせるバックグラウンドが足りない。精神的危機がそのままアイデンティティの危機になってしまう。ニートの増加ってそういうところにも要因が在るような気がする。現代社会は開き直れる為の後ろ盾が少ないのじゃなかろうか。
1回でもいいから、「やばい!死ぬかも!」という体験をするのはどうだろうか。もちろん、リスクが伴うわけだけれども、それでも、生きるということが、本質的に、精神的な部分ではなくて肉体的な領域に依存していることが実感できれば、精神的弱さが克服できるような気がするのだ。自傷行為もそういうところ関係あるような気がして仕方ない。
肉体感覚を取り戻すのが精神的安定に繋がる、ってのは本当だと思う。
今高熱を出していて、そんなことを思った。