2007-01-23

読者による拘束 みたいなのを考えてみた。きっとそれは読者に見捨てられないために読者が求める記事を書き続けることで、あるいは「このブログ(若しくはサイト)はこれこれこういう方針なんだから」と自己を(若しくは自分の作品)規定する作業で、それは売れない芸術家がファンにばかり目が向かって新顧客を開拓しようとしない姿勢であって、「これが自分の芸術なんだ」といって決まったスタイルで需要があるのかないのかわからない絵を書き続ける絵描きなのであって。

まぁなんていうんだ。気がついたらblogで書きたいことがかけなくなっていたのでツラツラ書く。

ブログは誰のために書くのか。まず第一に常連さんのためにだと思っている。それから、その次に趣味を共有する人(今は読者でなくても将来読者になりうる、いわゆる潜在読者)に向けて書く。検索してくる人になんて目もくれない。という調子で最近はやってきた。あぁ、結局は読んで欲しいんだろうなぁ。定期的に。

新たな常連さんを獲得するのと今の常連さんに見捨てられないようにするのと、どちらが簡単かといえば当然後者であって。そんでも読者と常連さんの間には筆者‐読者という関係しかないのであって。それはいつ終るか知れぬネット上の友人関係より脆い関係なのであって。そんでも、いやだからこそ読んでくれる読者に向けて書くのを止められないのであって。

ブログとは何なのだ?テーマも決めずに、つらつらと書き綴ってある文章を読んで何が楽しいのだ?

ブログというメディアは検索ビリティを高めるためにあるのだと本気で思ってた時期があった。時事ネタとか口コミを探すのはブログサーチの方がgoogleなんかより全然いい。でも、ブログって面白いよなぁ。読むのも書くのも。

さて、特にテーマを定めないブログについて書く。これからブログといったらテーマを定めてないブログとする。

さて、ブログの魅力とは何なのか。なぜブログには一定数読者がつくのか。

最近では、それはブロガーキャラクターとその魅力なんじゃないかと思ってる。あとは頭の回転とか他色々。なんにしても、原因はブロガーのほうにあるんじゃないかな。そして、そういうブログの売りは書き手なのであって、ブロガーからしてみれば売りは自分自身ってことになる。ネット上のid:○○に自分のネット上でのキャラクタを託してるのであって。そして、飾らなくても魅力のある人は幸いである。ブログに書きたいことを書けばいいのだから。ところが、キャラをつくってると例の「読者による拘束」が発生することになる。

これは、テーマを定めてあるブログも同じことであって、たとえば一定数の読者を獲得してしまった(テーマの定まった)ブログで私事なんて書けやしない。というか、「趣味ネタ」を読みに来てる読者さんにまさか「自分の悩み」を読ませるわけにはいかないだろう、と、こんな感じ。

あぁー結局想像しちゃうんだろうなぁ。巡回中に目当ての記事が読めなくて(あるいは長文を読んで自分が読みたいものじゃなかったのを知って)失望している読者の姿を。そして読者にとって自分は裏切り者に映るのだ。いや、そこまで期待もしてないだろうといえばその通りなのだが、読者たるもの、何がきっかけで離れていくかわからない。だから裏切ってはいけない。んー違うな。そこまで理性的に考えてるわけじゃないな。「人間たるもの与えられた役割を演じなくてはいけない。」これは本能だな。でも本能とか深層心理に逃げ込めちゃえば楽だな。「おまえは深層心理で読者に好かれたいと思ってるんだよ」なんちゅう強弁だよw。んーでもそうなのかなぁという気もしてくる。不思議だ。答えは出ない。

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